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息子の症状に気付くまでのいくつかの事

今日は息子が産まれてから、2才半で発達障害に気付くまで

いくつかの事について記録を残しておきたいと思う。

産まれてから8ヶ月まで

まず、産まれてから数ヶ月の間、まとめて寝る時間が全くなかった。今、考えると睡眠障害があったと考えられるのだが、その時はもちろんわからなかった。完全母乳だったので、とにかくいつも母乳を与え、夜中は数時間毎に起きてしまうため、私自身がふらふらになってしまった。

子育てってこんなに大変なんだ?という思い。日中、子どもと二人きりで過ごす時間が辛かった。心の繋がりと言うか、懐かれる感覚というものがなかった。夫が帰宅するのを待ちわびるような気持ちだった。

出産直前まで仕事をし、いきなり社会から隔離された気分も重なり、今考えると産後うつのような状況だったと思う。

子育ては出産前の想像と違い過ぎて、自分は子育てに向いていないのでは?と思うようになった。幸い、8ヶ月の産休をもらっているので、社会復帰しつつバランスを保つ事にしよう、と気楽に考えていた。

保育園に入ってからのこと

最初に他の子との違いを指摘されたのはその時、保育園に実習に来ていた先生からだった。なかなか、お座りの状態からハイハイをしない様子を心配して”もしかしたら発達に問題があるかもしれません”と言われたのだ。その時はびっくりして憤慨したのを覚えている。何でそんなこと言うの?と。今、考えれば勇気を出してよくぞ言ってくれた!と思えるのだが。

長男はハイハイも歩くのも遅かった。ほぼ、ハイハイせずにある日突然捕まり立ちをした。そして、初めて歩いたのも1才3ヶ月だった。この頃から定型発達児との差は出ていた。そして密かに焦りも感じていた。

歩き始めてからのこと

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歩き始めると”歩く”というより”走る”子だった。常に走っている状態だった。なので、ゆっくりと手を繋いて歩けない。とにかく、手を繋ぐという行為が出来なかった。なので、走る長男をいつも追いかけていた。

また、これも典型的なのだが、車のナンバープレートの数字やカナを見つけるのが大好きだった。あと車道を走る車を見続けること。今、考えると回るタイヤを見ていたんだと思う。そして極めつけは、ピョンピョンと跳ねる癖だった。

突然のフラッシュバック

大昔にNHKの番組で見た発達障害の子を育てる親が議論する番組。それは、母親になる前に見た番組で、”そんな事もあるんだ〜”という完全に他人目線で見た番組だった。でも、長男が常に走っている状況を見て突然、数年前のこの番組のシーンがフラッシュバックした。電撃が走ったような、でも、確信を持った瞬間だった。

言葉は2才の段階でまだ出ていなかった。こちらの言葉をどれだけ理解しているかも定かではなかった。普段は音楽に合わせて身体を動かしたり、ニコニコと穏やかだった。一方で、言葉がない分、思いを伝えられない事に苛立ち、癇癪も日に日に増えていた。

保育園での観察日

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そのフラッシュバックがあった事についてすぐに夫に報告した。多分、自閉症だと思うと。夫は突然の事にびっくりしながらも、すぐに色々と調べ出した。調べれば、調べるほど自閉症の症状に当てはまる。

絶妙なタイミングだった。保育園での観察日があったのは。

それは奇しくも、私の誕生日でこの観察日に保育園に午前中に行ったら、ランチは美味しい天ぷらを食べる予定にしていた。

観察日は普段の子どもの自然な様子を観るために、隠れて観る事になっていた。サークルになって手遊びをする子ども達。うちの子だけ真似をしていない。ただ、楽しそうにニコニコしている。

その姿に愕然となり、泣きながら心の準備をしていた。

そして、観察後の個人面談。

自分から”多分、うちの子、自閉症なんじゃないかと思います”と先生に伝えた。

先生は胸をなでおろすように”お伝えするか、しないか、迷っていたところでした。少し前に、同じようにお伝えした親御さんとはトラブルになってしまったので...でもお子さんのためにも1日でも早い療育をお勧めします”と。

先生は大分前から心配しながら見てくださっていた。細かい作業をやらせると、手先はそこまで不器用ではないので、知的には問題がないように思える。でも、模倣はなく、社会性に乏しいという見解だった。

その日の天ぷらは涙の味しかしなかった。多分、産まれて初めて死にたいと思った誕生日だった。それから3週間、寝込んでしまった。何を見ても、何をしても涙しか出てこない。世界が終わった気分になっていた。

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