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メキシコの砂漠で

わたしはずっと、夢のある人になりたいと思っていた。
ずっと憧れている何か、それに向かって努力すること、
そんなものが欲しいと思っていた。

思春期の頃から、そんな目標や夢を特に持たないまま生きてきた。
漠然となりたい職業はあったけど、だからってそのために努力したことはなかった。

ずっとそれがコンプレックスで、その結果でその時の今があった。
それはそれで仕方ないとあきらめながら生きていたかもしれない。

そんなわたしが30歳くらいのときに出会ったのがスペイン語だった。
ずっと旅行が好きで英語も独学で勉強していたけど、それも目標をもってやっているわけではなかった。
そんな中、英語以外に別の外国語を始めたくなり、話者の多いスペイン語を選んだ。
割と音が日本語と似ていて、読むのもローマ字読みでさほど難しくないので、勉強していて楽しかった。

それから4、5年たったころ、わたしは自分の人生にまだ自信を持てていなかったし、東京に住むことに苦痛のような違和感のようなものもほんのり感じ始めていた。
東京で楽しく暮らすには、一定以上の経済的豊かさが必要だと思っていた。
それと並行するように、インターネットでできたスペイン語ネイティブたちの送ってくれる写真を見るたび心が躍る自分がいた。
今から10年くらい前のこと。アルゼンチンやメキシコやコロンビアのそれらの写真は、東京から見たら別にきれいでも発展しているわけでもないのに、心が躍るのは何も物質的に優れているからじゃない。
東京で心が死んだように日々を生きるわたしには、その光景は「私を変えてくれる何か」だった。
東京みたいに整っていない道、コロニアル調の町、バスの売り子、彼らが別に誇りにも思っていないようなその生活の断片すべてが、わたしには新鮮に映った。

海外で働いてみたい。住んでみたい。スペイン語圏の国ならどこでもいい。
思う存分スペイン語を聞いて過ごしてみたい。
そんな動機で知り合いに聞いたり、コミュニティで求人を探したりして細々と転職・移住活動を始め、たまたま知り合いだったメキシコ人の女の子の働く日本語学校で働くことができるようになった。

日本を離れて遠いメキシコに一人で移住することは、大きな決断のように見えるかもしれない。実際に何人にもそう言われた。
しかしその時のわたしにとっては、非常に自然な選択だった。
これ以上、東京であのままの生活をしていく想像ができなかった。
それだけ限界が来ていたのかもしれない。

メキシコに着いて、何もかもが新鮮で楽しかった1年目、いやなところばかり目について疲れ果てた2年目を越えて
それでも日本に帰る選択はないまま8年が経っていった。

東京にはないおおらかさ、昔の日本のような温かさ、困っている時に助けてくれたたくさんのメキシコ人
やっぱりあの友達の写真を見た時に感じたあの情熱、日本にはない経験がたくさんできた。
やっぱり来てよかった。
あのとき、選択してよかった。

この8年でわたしは大きく成長した。
逞しく生きる術は、外国語で銀行や税務署の手続きをすること、理不尽なことに現地語で怒れること、怒っても無駄とわかっていても嫌なことは嫌だと主張できること、一度でうまくいくなんてことはこの国にはないんだと諦められること、でもやっぱりイライラしたり、日本では起こらないようなトラブルに対処したり、体力的にも、精神的にも、
そういう毎日の積み重ねから少しずつ学んでいくのだ。
あの涙、あの嬉しさ、夜中に一人で屋根に登って水のタンクを確認したり、近所の犬と散歩したり、彼氏に振られておかしくなったり、成功体験、失敗体験、
その都度いろんな感情の中で育まれていったもの。

だからわたしはあのときあの決断をしたわたしにありがとうと言いたい。
そしてこれからも選択するときは自分の中の情熱を大切にし続けたい。



#あの選択をしたから

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