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メキシコからコロンビアへ

結局メキシコには8年ちょっと居させてもらった。
2015年、何にもわからない中、火星みたいなメキシコのサカテカスに降り立ち、いろんな人に助けてもらって、それから8年本当にたくさんのことがあって、海外に住むということで本当に逞しくなれた。
ケレタロに引っ越して転職して、免許を取って車を運転して、ほかの州に行ったり、犬を飼って育て、車に乗せてハイキング行ったり、
家を一人で契約して借りて、家具を買って家賃も払えるほど自立できていたと自負している。
銀行にも労働監督署にも一人で行き、電話でのやりとりももう怖くなくなった。
次々起こる困難を解決する日々の中で、生きてる実感を持つことができた。
彼氏との遠距離恋愛を解消するために、コロンビアに来る決意をしたのも自分だ。そのために、住み慣れたメキシコを離れた。今まで持っていたものを捨てて、売って、ここに来た。
これは自分の決断で、彼氏に決められたわけでもないし、誰かのために来たわけでもない。
自分の人生を先に進めるために、もっとより良いものにするために自分で決めたこと。

コロンビアに来て4ヶ月くらい経った。同じスペイン語でも聞き取れないし、メキシコのそれとは使う単語もアクセントも違う。お義父さんやお義母さんの言ってることが全然わからない。
メキシコでは銀行や会議の長文も理解できてたし、通訳できてたのに、
ここでは簡単で短い日常会話すら聞き取れない。

プライドが傷ついたと言わざるを得ない。いつも彼氏の顔見て通訳頼む自分が情けないのに、それに甘んじてる自分にもいらいらした。
誰かに冷たい対応をされたら、メキシコ人と比べる。メキシコではこんな風に返されたことなかったとか。(実際はどこにいてもあると思う)
とにかく、なぜかコロンビアを好きになれなかったし、何といってもつらいのは、自分が無力に感じることだった。
スペイン語もそう、メキシコでは一人でなんだって出来てたし、どこにだって行きたいときに行けてた。
自立して生きてる自負があったのに、ここでは私は何もできない。
簡単な会話もできない。車もない。免許どころかまだビザすらない。
また一から、8年前にサカテカスに降り立った時と同じように、誰かに依存して生きていかなきゃいけないのか。
情けなかったし、悔しかったし、自尊心も傷ついた。
そんなこと、来る前から分かってたことだし、彼氏はいつも優しく慰めてくれる。
わかってる、わかってる
でも、自分で納得するまでだめなんだ。
友達を作るとか、新しい趣味見つけるとか、そういう外的手段の話ではない。誰かに言われてすんなりそうだねと切り替えられるわたしでもない。
自分でする心の整理が必要なんだ。

サカテカスの人は優しくて嫌な人なんていなかったとか、ケレタロでは車運転してどこでも行けてたとか、
そんなの全部、過去じゃないか。
それでもそれより、ここに来ることに決めたのは、その決断に希望を見出して、未来を信じたからでしょ。
未来に希望を持って、決めた自分を信じていたんでしょ
変なプライドで、その時の自分をがっかりさせるのか。
その時の自分を裏切るのか。
まわりの人や持ってたものなんて、自分自身じゃないじゃないか。
メキシコで経験したことで得た自信は、ここに来たからってゼロにはならない。飛行機乗ったとき、自分と一緒に連れて来たものだ。
誰かに奪われることもない、時間が経って消えるものでもない。
私自身の人生の財産であるはずだ。

今の自分が過去の自分の結果なら、泣いて落ち込む今のわたしをあの頃の私はどう見るだろう。
誰かのためじゃない、自分の人生を自分で、決めてここまで来たじゃないか。
まわりの人とか、持ってるものとか、そんなので自分が幸せか、満たされてるかなんて決められない。

わたしはここで、人生のパートナー、家族と、絶対に幸せになるんだとそう決める。
今そう決めるのだ。