芸術家・岡本太郎の人生哲学ー自分を殺すことで得られる、生の充実感
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
初夏の風が心地よく頬をなでてゆくこの頃ですが、みなさんお元気でしょうか。Rikaです。
先日、岡本太郎氏の著書を読了しました。
岡本太郎『自分の中に毒を持て<新装版>』青春文庫,2017
そこでは、氏のドラスティックな生き方や究極の人生論が、氏の作品と同様めくるめく勢いを持って展開されていました。
そこで、今回は本著書の内容や氏のメッセージに触れることで、私たちが氏の人生哲学から何を学べるのか、考えていきたいと思います。
岡本太郎の経歴
"芸術は爆発だ!"で有名な岡本太郎氏ですが、そんな氏の経歴を簡単に紹介します。
岡本太郎は1911年神奈川県生まれ。父はマンガ家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。東京美術学校(現・東京藝術大学)退学後、両親とともに渡仏。両親の帰国後もパリに残り、31年パリ大学に進学。哲学や心理学、民俗学などを学びながら、パリの美術動向を知る。なかでもピカソの作品に強く惹かれる。力強い輪郭線と原色を多用した作品を発表し、画集『OKAMOTO』(G.L.M.、1937)の出版ほか、パリの芸術運動に参加するなど活発に活動する。しかし第二次世界大戦の影響を受けて40年に帰国。中国への出征を経て、47年に二科会の会員となり画家としての活動を本格的に再開、主題から技法に至るあらゆるものを対極的にとらえる「対極主義」を提唱する。翌年、花田清輝と出会い前衛芸術運動「夜の会」を結成。多くの作品を制作しながら、54年に著作『今日の芸術』(光文社)を出版するなど文筆家としても活動し、強い影響を受けた縄文土器や沖縄文化などについて執筆した。国内外で活動するなか、70年に大阪で開催された万博のテーマ・プロデューサーとなり《太陽の塔》を発表。89年、フランス政府より芸術文化勲章受章。96年没。("岡本太郎”.美術手帖.https://bijutsutecho.com/artists/126)
氏の作品や際立った受賞功績はもちろん特異点なのですが、わたしが気になったのは、以下二点です。
・ご両親共に芸術家
本著書でもご両親のことについては述べられていますが、ご両親は氏に対して、子供としてではなく、一人の人間として対等に接していたそうです。
そんな氏はご両親に対して、親という愛情よりも、一人の人間としての愛情を深く感じていたそう。
氏の芸術感、芸術の根本にある人間存在という概念については、芸術家のご両親のもとで上記のように育ったことが大きいのかもしれません。
・ピカソの作品に強く惹かれる
氏とピカソの作品というのは、抽象性を用いて人間存在の根本について普遍的な訴求力を持って私たちの前に存在しているという意味で、類似した精神性が見える気がします。
また、氏がパリで反全体主義の会合に参加していた時、会合の開催場所が、グラン・ゾーギュスタン街の古い建物の屋根裏だったそうです。
そしてその場所は、ピカソがあの大作「ゲルニカ」を描いた場所でした。
ピカソと氏の不思議な縁を感じさせるエピソードですね。
氏がピカソとの出会いやピカソに思うことなどを記した著書もありますので、ご興味のある方は是非チェックしてみてください。
岡本太郎の作品
氏の作品のなかで、今までわたしが実物で拝見したものは二つです。
一つは、「太陽の塔」。
こちらは、いうまでもなく皆さまご存知かと思います。
わたしは大阪万博が開催された1970年当時はまだこの世に生を受けておりませんで、当時の日本のムードというものを肌感覚で存じません。
その頃にタイムスリップして、熱狂具合を体感してみたいものです。
タイムマシンの開発を待ちましょう。
作品が作られた当時を知らないわたしですが、この作品の持つ引力については、痛いほどよく伝わってきます。
太陽の塔は、博覧会のテーマである「人類の進歩と調和」を最も表現する場として、人間の尊厳と無限の発展を表現したものです。
壮大なテーマですね。しかしそのテーマを強すぎるほど強く体現している作品が、この太陽の塔です。
現在はコロナで内部公開がストップしていますが、いずれ中に入ってみたいものです。
なお、内部の公開情報については、以下ページにて最新情報をチェックできます。
そしてもう一つが、「明日の神話」。
富山県に旅行に行った際、富山県立美術館でこちらの作品を拝見しました。
何気なくふと立ち寄った先でこの作品を目にしたわたしは、一瞬呼吸が止まってしまうくらいの衝撃を受けました。
そこにあるのは、鮮烈な色彩で描かれる、命のかたち。
人生とは、なんと多くの悲しみに満ちており、しかしながらそこから立ち上がる力を持つ人間のなんと強いことかー。
そう思ったことが今でも記憶に新しいです。
第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間がモチーフとなっており、悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされています。
渋谷マークシティ内の京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路に恒久設置されているので、是非見に行ってみてください。圧倒的存在感です。
岡本太郎の人生哲学
氏は当著書にて、大きく三つのテーマ
ー生き方、愛、芸術
について、持論を展開しています。
彼なりの愛し方や芸術も非常に興味深く、機会があれば掘り下げたいのですが、本記事では生き方にフォーカスしたいと思います。
(最も、愛・芸術についても、氏の生き方に関する一貫した考えが根底にはあります。)
氏の生き方を一言で表わすと、波瀾万丈、という言葉でしょうか。
人々の目から見た氏は、非常にドラマチックな人生を歩んだように写ります。
なぜそのような印象に映るのか。
ーそれは、氏が迷った時に選んできたのが、常に危険な道だったからでしょう。
ではなぜ氏は、危険な道を選択し続けたのか。
ーそれは、自分を殺して危険な道を選び取ることで、生の充実感が得られることを氏は身を以て理解していたからでしょう。
ではこの、自分を殺すということについて、もう少し深堀って見ましょう。
氏曰く、人間は、いつでも二つの道の分岐点に立たされていると言います。Aの道を取るか、Bの道を取るか、選べるのはどちらか一つです。
そんな時、必ず私たちの間にどちらを選ぶべきかという迷いが生じます。
なぜ迷いが生じるのか。
それは、Aの道の方が自分が情熱を覚えるがリスクの高い危険な道である一方、Bの道はリスクの低い安全が保証された道であるからです。
ここで多くの人は、必ずと言ってよいほど、安全な、間違いのないBの道をとってしまいます。
なぜなら、誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがるからです。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのです。
人々は運命に対して惰性的であることに安心していると言えます。
しかし、それが本当に正しい選択なのでしょうか。氏はここに大きな問題提起をしています。こんな時、氏だったらどうするのでしょうか。
氏は言います。信念をもって、自分という人間の全存在、生命それ自体が完全燃焼するような生に賭けるべきなのではないか、と。
いのちを投げ出す気持ちで、自分にとってマイナスな、危険な道をとる。死に対面する以外の生はなく、その他の空しい条件は切り捨てる。
そして、運命を爆発させる。それが生きるパッションとなる。
そうすることで、「俺は生きた!」と言える人生になる。
ほとんどの人は、自分を大事にしようとするが故に、逆に生きがいを失ってしまいます。
ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘うというような、己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し運命をきりひらいていくことです。
自分を殺すことで、そこから自分が強烈に生きます。それがほんとうに生きることです。
まとめ
当著書では、自分を殺す、という一見してセンセーショナルな言葉の裏に、人生の高揚感、充実感を得られるヒントが述べられています。
本記事では氏の経歴や作品にも触れましたが、氏があのような引力の強い作品を生み出す裏には、見てるこっちがハラハラしてしまうようなタフな人生哲学があったのだと思うと、なんだか納得ですね。
最後に、大事なところをもう一度言います。
迷ったら、安全な道を選んでしまいそうな自分を殺して、危険な道を選んでください。そうすることで、情熱を持って自分の運命を切り開き、生の充実感を得られる人生を送ることができます。
前回の安藤さんの記事にも、野性を取り戻す、という話が出ていましたが、それに通ずるものを感じますね。(まだお読みで無い方は、是非読んでみてください。)
高度にテクノロジーが発達した現在において、利便性と引き換えに、生に対する情熱や充実感などの人間的要素を損失してしまった人が増えていると思います。
そのような中で、危険な道を情熱を持って選び取ることで、かがやきに満ちた運命をきりひらいていく個人が増えることを願って、筆を置きたいと思います。
長くなりましたが、ご高覧賜り誠にありがとうございました。