100記事書いたので最近書きやすくなった理由を考えてみた
昨日の記事で100記事投稿したみたいです。わー!
10記事ほど下書きに戻したものもあるのだけど、今公開しているものが100記事だって!
すごー!なんか100っていい!えー!すごー笑!
noteは2022年の10月から始めました。一応毎月何かは書いていたけど1つや2つの月もありました。そう、ずっと全然書けなかった。
ついこの間の年末年始、noteの「お題で2週間で5記事書きましょう」って企画があって、参加してみたんですけど、ひいひい言いながら書きました。書くことないよ〜ってなりながら。
でもここ最近3ヶ月くらいサクサク書けるようになってきている気が、しないでもないような…今年に入ってからちょっと変わってきたんです。なぜなのか、考えてみました。
ちゃんとしてなくても公開しちゃう
考えてみたけどこれかなって思いました。
なんかnoteってブログのような、SNSのような…気楽なようで気楽じゃないようなものだと思っていて。
ちゃんとした記事にしないと公開しちゃいけないような気がしていたんです。いや、ちゃんとした記事ってなによって感じなんですけど。
以前、中村環さんの漫画プロファイルというものをして頂いたことがあって。(現在は終了されています)
そのなかで私のいいところとして、
感受性がとっっても豊かでアンテナがすごい(めちゃ要約)
というふうに言って頂いたんです。う、うれしい。
確かによく日常の小さなことを漫画にしていました。メガネくもったとか(笑)そんな内容でもこれ描こう!と思えるんです。
でもなぜか文章を書くとなるとできない。
「ちゃんとしなきゃ」って思ってたんです。
不思議。今思うと本当に不思議。
全体的な流れとか「てにをは」が変じゃないか、ここの言い方…締めとか考えてたらあ、今日は無理、また明日って感じで。
文章の正解も、そもそも正解があるかもわかんないのに、なんとなくそこまでいかないと投稿しちゃダメみたいな。
イラストだと描きかけとか、こんなんいま描いてます〜とか途中でも投稿してるくせに、です。笑
しかも初期の頃、おすすめのところにフォロワー何万人、スキが1000単位のnote界の激スゴな人たちの学びがある新聞に書いてあるような記事が流れてきて、ますます場違いじゃんこんなの書けね〜ってなってた。
実際はこの人たちが特別な少数派なんだよねきっと。
そもそも私は人の日常とか日記とかささいな書き物が大好きで、ぶっちゃけ学びはいらないな…と思うくらいだった。疲れるから…(笑)
だからそれも含めて、ちゃんとしてなくても投稿しちゃおう、て思い始めた。
よく言われてることだけど、誰もそんなに気にしてない(と思っている)。別に私の記事がどうだろうが、文章が変だとしてもサササーと読んでるだろうし、さっさと他の人の記事にいってると思う。(グサっ)
でもそれが現実だとしても、ちょっとさみしい。本当は読んでほしいな〜と思っているから。
だから書くしかない。たくさん書くしかない…んだと思う。
これもやっぱり言われてることですよね。
スキの数とか気にせずに(もちろんもらえたらめっちゃうれしいよ)好きなこと書くしかない。そうしないと続かない。
続ける。続けないと100記事もいかないもんね。
たくさん書いたらその中の記事をスキと思ってくれる人が現れるかも。そしたらもっとうれしい。
ちゃんとしてなくても公開しちゃう、それを書き続けるってことなのかな…
とレベル100(え?)になった私は思いました。
次は気づかないうちにレベル200になりたい。そのときはハーゲンダッツでお祝いします。
おわり