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『ここじゃない世界に行きたかった』に惹かれた理由

塩谷舞さんの著書『ここじゃない世界に行きたかった』を読んだ。

人気ライター初の著書であり、noteでの連載をベースに書き下ろしを加えたエッセイ集だ。

私は正直いままでの彼女の記事を購読していたわけではなく、あまり経歴についても存じ上げてはいなかったが、Twitterで流れてきて気になり、本屋に行くと迷わず手にとりレジに並んでいた。

著者は所謂、”インフルエンサー”に分類されると思うが、『ここじゃない世界に行きたかった』というタイトルから、きらきらとしたことだけではなく、やはり苦しい思いもしてきたのだろうと想像し、なんとなく親近感を感じた。

また、著者は本作のなかで自身のことを、”人の話を聞かない”、"ずっと喋っている"と語る。しかし、読み始めると、そんな自己評価からは想像もつかない、洗練された美しい文章が並んでいた。


2020年は多くの人にとって、世界にとって激動の年であっただろう。マスクが生活の必需品となり、娯楽は制限され、人には会わず、自宅で過ごすようになった。そんな生活様式の変化を経て、自分自身に向き合う時間が増えた。自粛期間中制作に向かったアーティストやクリエイターからは、自身の内側と向き合った作品が多く発信された。

本作も間違いなく、未知の疫病の到来により急変した社会を描いたものであるが、そこにプラスして、移住したニューヨークでの海外生活という観点が加わる。

生い立ち、仕事、人との付き合い方、政治、環境問題、そしてインターネットと多様なトピックが独自の視点で語られ(なお、noteでは「視点」というマガジンで連載を行っている)、決して華やかなだけではない、葛藤や影のある部分もさらけ出した内容になっている。

帯にも記載されている、ブレイディみかこさんの文章が秀逸である。

「バズライター」が自分を取り戻すために綴り続けた文章は、ゆっくりと静謐で美しかった。

異国の地での出会いで、SNSで繋がるのみの関係ではない人間関係を見つめ直し、PRされた商品ではなく、ふと見つけたお店の商品やギャラリーなどを通して、美しさを再認識する。ここじゃない、自分だけの理想郷をつくっていく。そんなエッセイだった。


本作を読みながら、自分のことを思い返した。

著者のように海外に住んだことはないが、コロナ前は頻繁に海外旅行に行っていた。パッケージツアーは避け、綺麗なホテルよりも民泊を好み、自力で空港から宿までの道を調べ、行程を決める、そんな旅を選んだ。

当時は漠然と、英語力をつけたい、経験値をつけたいと選択していた気がする。しかし、今考えるとそれは他ならない、別の世界に行きたいという気持ちの表れであったのではないかと思う。

都会でのサラリーマン業務に疲れたから、たまにはリゾートホテルでゆっくり過ごしたい、ではなく、たまには異国でレベル1からやり直したい気持ちがあった。そうして、今までの人生では出会わなかったモンスターと戦う。日本に生まれ育っていなかったらどんな景色をみていたのか、少しでも知りたい気持ちがあった。

結果、東京よりもシンプルな路線図なのに交通機関の乗り換えがわからず無駄に歩いたり、ホストとうまくコミュニケーションが取れず気まずいまま夜を過ごしたり、せっかく取った休暇なのに早く帰りたいと思ったり・・と"孤独"を感じることも多々あった。そうして東京に帰ってきては、慣れ親しんだ日本語や、所謂"おもてなし"を感じるサービスにほっとした。

ところで、東京は私の居場所になったのだろうか。

静岡の田舎に生まれ、幼い頃からテレビや雑誌でみる都会に憧れ、東京に出ること一択で学生生活を過ごしてきた。親しい友人たちにも時折話しているが、未だに、生粋の都会コンプレックスの自覚がある。大学から上京して10年経ち、現在は渋谷で働いている。あの、渋谷である。まったく、静岡で買った新しい服を着てドキドキしながら109に行っていた自分に伝えてやりたいと思う。

すっかり東京に慣れた気でいるが、不思議な街である、何でもあるようでとても不安にさせるのだ。皆いるようでとても孤独だし、何者かになれたようで、大衆に埋もれている気もする。

30歳を目前にし、東京に居心地の良さを感じるふりをして、わたしもまた、"ここではない場所"を探しているのかもしれない。


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