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本に愛される人になりたい(101)「井月句集」 

 私の読書パターンは、既投稿通り「数珠繋ぎ読書」で、これが半世紀を超え、少しばかり視点を後ろに引けば、生物の進化系統樹のように幹や枝が細かく分かれに分かれ、なかには大地に落ちた種子から新たな芽が芽生え若木から大木になっていたりし、まるで屋久島の杉の森のようにようになっています。これからも、この数珠繋ぎ読書の森は色濃く心の大地を覆っていきそうです。 
 高校生のころ種田山頭火の俳句にハマりその後もたまに再読していましたが、朝ドラ『虎に翼』の主題歌、米津玄師の『さよーならまたいつか!』の歌詞の一部に種田山頭火の俳句のオマージュがあるのを知り、久しぶりに種田山頭火関連本を読み返し、その俳句に触れていました。
 十代のころには突き刺さらなかった俳句でも、今となりようやく突き刺さったりするのを発見するのは楽しいものですが、そうやって数冊読んでいくなか、種田山頭火が師とも仰ぐ井上井月(せんげつ)の俳句が好きだったことを思い出しました。幕末の俳人の井上井月ですが、種田山頭火だけでなく、芥川龍之介、さらに後年つげ義春にも影響を与えたといいます。
 その種田山頭火ですが、井上井月の墓参をした折に四つの俳句を残しています。「お墓したしくお酒をそゝぐ」、「お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました」、「駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね」、「供へるものとては、野の木瓜の二枝三枝」…どの俳句も、井上井月を慕う心情が現れていて、読み手の感情を振るわせます。
 井上井月の人となり、奇行や逸話は本書を読んで頂くとして、秋の季節を詠った俳句をいくつか取り上げてみると…「飛ぶ星もそれかと見えて銀河(あまのがわ)」、「松風を吐き出す月の光かな」や「夕虹に空もち直せ秋の雨」など、とても動的でとても壮大な世界に誘ってもらえます。一方で、「きゝさ酒の心もとなき残暑かな」や「初秋の心づかひや味噌醤油」など、日々の生活のヒリっとした悲しみ(そのなかに溶けこんでいる生活の実感)も感じさせてくれます。
 1822年(文政5年)に現・新潟県の長岡に生まれ、明治維新を超え、長野県伊那村で1887年(明治20年)に亡くなりました。激動の幕末、そして坂の上の雲を追う明治の近代化の波を横目に、心優しい俳句を遺した井上井月は、21世紀となっても生きています。まるで、代々引き継いできた糠床のようにも思われます。中嶋雷太

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