同調圧力の二面性から意外な部活動加入率を考える
やりたい人がやれる部活動、やりたくない人はやらなくていい部活動、これは全員加入の部活動の体制と対照的な部活動のあり方です。
加入率の高い部活動の体制について詳しく調べてみると、その多くは規則で加入を強制されているわけではありません。
多くは、いわゆる同調圧力という、集団の空気みたいなものが大きく機能して、加入せざるを得ない状況を作り出しているようです。
当協会の研修会の内容でも、無理強いはしない、やりたい人がやる体制にすべきだという意図の講習をしてきました。これが部活動に関わる問題を解決するための1つの方向だという理解のうえで研修会をしてきました。
今回の研修会の後に行われた情報交換会の席で、ある先生の発言で気がついたことがあります。
実は、私も教員時代のことを思い返すと、部活動の顧問をしていた時、やはり自分も生徒に部活動になるべく加入するように指導していたような気がします。
なぜ、そう思ったのか改めて思い返してみました。
まず1つは、生徒に押し付けるつもりはないのですが、単純に部活動の教育的効果を考えて、生徒のためになると思って勧めていたと思います。
もう1つ、部活動に参加して欲しいと思った理由、それは、全体がやらない流れになった場合、それに個々の生徒の意識が流されてしまわないかということを危惧していた気もします。
今回気が付いたのは、やりたくないのにやらされる同調圧力と、それに対して反対のやりたいのにやれない同調圧力ということもあるのではということです。
つまり、参加する方に流れる場合も参加しない方に流される場合もあるということです。どちらかと言えば、そもそも人は易きに流れるというか、消極的な行動に流される度合いの方が大きい気がします。
例えば4人の友達がいて、3人が帰ると言った時、残りの1人はやりたいのに3人に合わせて帰る選択をしたとします。この場合は、やらない方に流される同調圧力になるのではないか。
この選択は参加が自由選択が可能になった結果で、それでむしろ健全な状態で良いという考え方もあると思います。
部活動の参加について、教員からの勧めや調査書の記載などのバイアスも掛けずに判断をさせた場合、果たして部活動への加入率はどうなるでしょう。
もしかしたら、現代の高校進学率、す大学進学率も進路指導の結果なのでしょうが、実は単なる同調圧力の結果なのでは、その辺りは微妙な気もします。
いずれにしても、きちんとした予備知識を与えたうえでの選択に導くことが教育という観点では、重要なプロセスになるのしょう。これが、いわゆる教育的配慮と言われるものになるのだと思います。
部活動について、やりたい人がやる、やりたくない人はやらないという任意の選択権が可能になったとすれば、部活動の意義や必要性について伝える機会も同時に設定していくべきではないかと思います。
本当の意味で自由選択が保証される状態に近づけるためには、部活動についての教育的配慮のあり方も具体的に検討する必要があるかも知れません。