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今のこと
心が雨漏りする日には - 山田亮一弾き語りライブより youtu.be/5BlcqVq5ZmU @YouTubeより
急にこうなっちゃうことが分かっているから責任の生じることができないし、責任の生じることをやりますとも言えないみたいな感じ。
企画とかなんとかって結局は「責任とります」か「責任とってください」でしかないからな。
音がしたかしなかったかのタイミングで必ず後ろを確認したがる人間が、右も左も見ず前に突っ切らないといけないタイミングでしかつかめないものを得ることなんてもうできない
今の自分をあるひとの歌詞ふうに考えてみたのでご自由にお使いください
それがどんなに小さくくだらなく見えるものでも、もはや愛とか狂気とか呼ばれるものにしか突き動かされたくない、と考えると、正義なんかも論理ではなくそういうものなのかもしれない。
だから正義はできるだけ「小さく」なければならないのかもしれない。