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どうしてもあなたに会いたくて…「帰ってきた橋本治展」神奈川県立近代文学館に行ってきた。その①

 あたしが、橋本治の本を初めて読んだのは、高校3年生の時である。
1979年か1980年か。家庭の事情により、その春から女子寮に入り、時間がいっぱい出来た(っておかしいな、受験生だったよね。あなたは)親の干渉もなく、最上級生なので寮内の上下関係を気にすることもなく、勝手気ままに1年間を過ごすことになった。

『桃尻娘』の文庫本を手に取った経緯を思い出すのは不可能な時間が経ってしまったけれど、とにかく一読して、どハマりする。
 何しろ自分は高校3年生、じょしこーせー。主人公の榊原玲奈と同じ立場なのだ。退屈して大人にイライラして、だけど何していいのかわからずもやもやし続ける。滞る気持ちは、頭の中に溜まり続ける。

玲奈ちゃんは、何にでも文句をつける。
(文句をつけてもいいんだ!)
玲奈ちゃんは、希望のモデルになり、薫ちゃん(磯村くん)源ちゃん(木川田源一)は、大好きな友達だった。

 高校を卒業し、大学生になり、札幌で一人暮らしでも橋本治を読み続けた。というより孤独な生活を支える、心の安定剤のように身近に置き続けたーと言う方が近い。本屋にいけば必ずのように新刊が出ている。駅前小説でもないのに`80年〜`83年ころの橋本治は、信じられないスピードで本を出していた。特に響いたのが『シンデレラ・ボーイ シンデレラ・ガール』で道を歩きながら本を抱えてオイオイ泣いたのを覚えている。

未だに少女マンガ評論の最高峰から降りてこない『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の話は、もう何度も何度も書いてシツコイでしょうけど。
「少女マンガのことを言葉にしてもいいんだ!」
という発見と驚愕、そして喜びは、やはり人生の希望となった。

 80年代、確かに橋本治はサブカルチャーの寵児であったし、テレビにも出ている「有名人」であったけれど、その時も以降も、常にあたしは、面白くないと感じていた。

治ちゃんの世間的評価は低すぎる。

「治ちゃん」とか友達でもないのに、勝手に言ってる時点で世間的評価を下げているのは、自分でもあったのだが、その時は「治ちゃんと言わせてしまう治ちゃんが凄いんじゃん!」としか思っていないので、バカなんだから仕方がないけれど、でも認識自体は、間違ってはいないだろう。

サブカルで知る人ぞ知るで、マニアックな人気があるとかさ。
そういうんじゃないんだよ。しかし、説得的に言葉にして咀嚼しようとする意思を阻む、壁があるのも橋本治。

高橋源一郎が、文壇(というものがあるなら)で橋本治に関する批評なり評論が滅多にされないのは、「彼が本物の正統だから」と何かで書いていた。
その意味も多分、よくわかっていないけれども。

 1977年のデビューから2019年に没するまで膨大な作品を書き続けた。内容は『桃尻娘』から『双調平家物語』まで、多種多様に渡り、全貌は掴みきれない。その上に各作品は、どれも独立して完成度は高く、他に類を見ないレベルで。ということは、その「現物」の向こう側には、書かれたものの何十倍もの資料と蓄積された「教養の山」があるのである。
 
 その背後、風景が直感的にでも見える者は、必ず躊躇する。自分の手には余ると。ことさら男の文学者にはキツいだろう。自分自身が潰されてしまうから。
 この度、本当に初めて総合的な橋本治論として出版された。『はじめての橋本治論』(河出書房新社)が、女の論者、千木良悠子の手によるのは、ある意味、自然の流れだったのかもしれない。

話がそれておりますね…。

 そうして没後5年。はじめての回顧展が開かれるという。
場所は、神奈川県立近代文学館。執筆原稿、資料を家族の意向により寄贈さらた<橋本治文庫>として所蔵、保存している。
その資料に基づき、辿る橋本治の作品と作家人生。

なんて偉いんだ!神奈川県近代文学館!

 3月30日から6月2日まで開催される『帰ってきた橋本治展』。
もちろんすぐにでも行きたかった。しかし、ここは北の国札幌。さらに諸事情により時間が取れない。4月が過ぎ、5月の連休が過ぎ、ネットではどんどん見に行った人達の感想やレポが上がってくる。
うーむ、うーむと唸りながら。
(行かないと後悔する。必ず後悔する)頭の後ろから声がした。

 仕事の合間をぬうように、正味半日の横浜旅行を決める。
どうしてもあなたに会いたくて。北の国からまいります〜〜。

つづく。 文中敬称略







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