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誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ イ・ギホ 亜紀書房

おもしろかった。短編集なのだけれど、どの短編集もすべておもしろかった。読みやすい文体なので、スッと中に入れて読みすすむことができる。が、読み終わった後には、なんだかうすら寒くなる。やさしいようでいて、ひどく冷静な、寄り添うようでいて、どこからも離れている、そんな感じを受ける。

最初の短編もそうだが、作家が主人公のものがたりがいくつかあり、中には同じ名前だったり、あとがきとされている短編はほぼ実話ということで、小説なのか実際にあった話なのか、その境界線がわざとぼかしてある。

訳者の斎藤さんが解説しているように、韓国文学では恥や羞恥という感覚が非常に重要なテーマとなっている。韓国で暮らしていると、恥はいろいろな顔をしていて、人としての倫理に外れることを強烈に恥とする面がありながら、貧しさ、みすぼらしさなど、表面的な部分にもすごく恥を感じる人たちだなと思うことがある。外見やTPOにうるさく、自分がよければどんな格好をしていても、それでよしとする意識は日本以上に少ない気がする。

この短編集でもいろいろな場面で人々は羞恥心を感じ、怒ったり、自嘲したりする。それとはわからないようなところで、突きつけられる自己矛盾に恥ずかしくなったりもする。

唯一それをしない主人公は、表題作の誰にでも親切な教会のお兄さん、カン・ミノだ。彼はそれを忘れてしまう。自分のふるまいを、自分がやってきた、もし覚えていたら恥ずかしくなってしまうようなふるまいを思い出せない。聖者に1番近そうな親切な教会のお兄さんだが、こういう人はやっかいだ。人を傷つけ続ける。そしてわたしの中にもたぶんカン・ミノがいる。

著者のイ・ギホさんは全く反対の人のような気がする。自分の恥ずかしさを忘れられないどころか、書き留めてしまう。長く生きているとネタにするしかないと苦笑いするようなことがいくつかあるけれど、それをきっちり「作品」にして、さらにバツが悪くなっているような作家はあまりいないんじゃないだろうか。

私はそんな作家の書いたこの本が好きだし、他の作品も読んでみたいと思う。


【Maar BASEショップ】                      「誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ」  イ・ギホ著 斎藤真理子訳亜紀書房 1,870円    https://maar2017.thebase.in/items/29515848


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