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【ありふれた本棚】「さよならのあとで」ヘンリー・スコット・ホランド〜さいしょに紹介する本〜

 それは、とても美しい本である。
 まず、表紙が美しい。
 活版印刷なのだろうか、中央のやや上寄りに配されたひらがな七文字の題と、その下に控えめに咲く花。右側に小さく書かれた詩人の名と作画者の名。一番下に出版社名。それらを赤い花のような飾りが囲う。
 過不足のない、美しい装丁だった。

 わたしは、この書籍が紹介されている小さな小さな白黒の写真を見て、この本を何が何でも読みたい、と思った。

 3年前の10月、お世話になった方が亡くなった。
 大人になってから出会った人はたくさんいるけれど、彼女には、本当によくしてもらった。
 彼女のことを思い出すと今でも心が痛くなるし、彼女のことを書こうとすると、いまでもほんのちょっと手が震える。

 出会いは映画の一幕のように、はっきりと覚えている。
 アルバイトの面接に訪れ、その場で不採用を告げられた帰りに寄った、小さな喫茶店。わたしは、ずっしりと重い木の扉を開いた。サイフォンが並ぶカウンターと、テーブルがすこし。今しがた淹れられたばかりの珈琲の香りが漂う店内。履き慣れないパンプスのかかとを床板にコツコツと響かせ、テーブル席につく。運ばれてきた珈琲は、通好みの難しい味なんかじゃなく、誰をも拒むことのない、やさしくすっきりとした味わいだった。
 黒いエプロンに身を包んだ、ほっそりとして笑顔が印象的な奥さんが、スーツ姿のわたしに気軽に話しかけてくれた。「お仕事帰り?」わたしはちょっと戸惑いながら、「いいえ、面接に行ってきました」と答えた。
 気がつけば、わたしは面接に落ちたことを素直に話していた。奥さんの明るく朗らかな様子にあっという間に心を許してしまったのだ。
 すると彼女は「だったらうちで働く? ちょうどアルバイトの人をさがしていたの」といった。

 わたしはその店で働きはじめた。
 しばらくして、わたしが編み物をしていること知った奥さんは、お店が暇になる土曜日にニットカフェや教室を開催することを提案してくれた。また、はじめての展示会も開かせてくれた。

 わたしに「編むひと」という属性をきちんとくっつけてくれたのは、奥さんだったと思う。
 彼女は、快くわたしに編む場所を提供してくれた。編むことで人と繋がれる場を与えてくれた。

 だから、彼女が死んだとき。わたしは、編めなくなった。どうしても。どうしても、編めなくなった。

 それから3年という時間をかけて、今また日常的に編むひとになり、編み、染めることでまた別な人たちと繋がっていく日常を取り戻していた。
 もしも、あのときのわたしが、この本に出会っていたら。もう少し早く編めるようになっていたのかもしれない。

 この本には、四十二行の詩がたったの一編だけ収められている。
 それは、こんな言葉ではじまる。

死はなんでもないものです。
私はただ
となりの部屋にそっと移っただけ。

「さよならのあとで」ヘンリー・スコット・ホランド(夏葉社)

 
 わたしは、この冒頭部分を読んだとき、しずかな衝撃を受けた。
 わたしには、この言葉をかみしめる時間が必要だったのだ、と思った。

 余白ばかりの、真っ白な本だった。
 一冊を通して、一編の詩だけがあった。
 この詩の言葉を、そしてその言葉が内包する意味を、ただそれだけを、まるで傷つきやすいもののようにやさしく、それぞれのページに置いた本。

 わたしは、やみくもに適当なページを開いてみる。ぱらぱらと後ろからめくってみる。あの言葉が置かれていたページを探してみる。

 この本を発行した人は、この本を作りたいというだけで出版社を作り、実際にこの本を作ったのだという。
 わたしは、彼に心から感謝したい。
 わたしとこの本を出会わせてくれたことを。



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