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父の命日に思う、父の末期がんを宣告された日

今日は父の命日。
七回忌に当たる。

母は割と早くに他界した。
そして私は一人っ子。
父にとっての家族は、娘の私だけだった。

私は高校を卒業後、東京に出て以降、地方に住む父と暮らすことはなかった。

約7年前、父が体の不調を訴え入院した。
その秋、父の主治医から電話をもらった。
話があるので来てほしいと言う。
飛行機に乗り、病院へ向かった。

主治医は私に言った。

父は末期がんであり、桜を見ることは難しいかもしれない、と。

「なんて情緒的な表現をするのだろう。もし他の季節だったらどう表現するのだろう」とぼんやり思った。

病室に行くと、私より先に余命に近いことを告げられたらしい父はただ一言、「悔しい」と短く言って手で目を覆った。

病室を出て帰ろうと廊下を歩くと、秋の強い夕陽が私を差してきた。

父はエレベーターの前まで見送ってくれた。
私がエレベーターに乗ろうとする前、父が「わしはもうだめだな‥」と珍しく、本当に珍しく弱音を吐いた。

その言葉を聞いて、なぜだか私は憤りを覚えた。
それまで弱音を吐いた姿を見たことのない父への違和感だったのかもしれない。

そして同時に
「私は生きる。もっと生きる」
そう強く決意した。

命ははかないもの。
長生きにはまるで興味のない私の中にこみ上げてきたその感情に、我ながらびっくりした。


父は亡くなる数日前、親しい友人たちの誘いを受け、桜の花見をしたとの報告があった。
医師の宣告どおり、ほぼ余命半年だったが、最後に親しい友人たちと美しい桜を観て命を終えることができたことは救いだった。

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