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森敦『月山』『意味の変容』を読んで
東北へ旅をして、山形県にある月山へ登った。あいにくの悪天候で、楽しみにしていた庄内平野や鳥海山の姿は見えなかった。
旅から戻ってきて、『月山』という小説があることを知った。この本のことを教えてくれた人が、冒頭から一気に引き込まれて…と言っていたとおり、私も冒頭の文章を読んだだけで、姿勢を正してその世界に入り込んだ。
山形県、月山の麓に暮らす人々と、冬の間山に近い寺に籠もっていた旅人の話。雪によって閉ざされたその“山ふところ”は、あの世に近い神聖さとこの世の俗さが混ざり合う。富山の薬売り、物を売りにくるヤッコ(乞食)、即身仏のミイラ、賭博に狂った人々、匂いを放つカメムシ。なぜ、旅人がその寺に籠もることになったのかは分からない。カメムシがわざわざ器の縁を何度も滑り落ちながらよじ登り、それから飛び立った姿を見つめていた旅人は、やがてその“山ふところ”を去っていく。あのカメムシはすぐに羽を広げて飛びたつこともできたのに、なぜ何度も滑りながらよじ登ったのだろうか?読後、私は意味のない行為、意味のない時間を過ごすことについて、考えてみた。どれだけ非生産的で非効率的であっても、無意味な行為も時間も人生からは切り離せない。むしろそれらが愛おしい。
『意味の変容』については数学的な私小説というのか、どういったらいいのか分からない。
難しすぎて、私には手に負えないなと思ったものの、『意味の変容』を読むことによって『月山』のことも、森敦さんのことも理解を深められるだろう。最後に、『意味の変容』から気に入った詩をここへ残しておく。
闇が覆って来た
生命ある樹々は姿を隠し
死んだ木が白く浮き上がって
生命の形を現す