追悼ポール・オースター
ポール・オースターが4月30日に亡くなった。享年77歳。
と書くともっともらしいが、私が彼の死を知ったのはそれから2カ月近く経ってからで、たまたま入った書店でたまたま文芸誌を手に取ったところ、表紙に追悼ポール・オースターとあって愕然とした次第。
それどころか闘病生活を送っていたことも知らず、次の翻訳はいつ出るんだろうと薄ぼんやり待っていたのだから、我ながら情報感度の鈍さには呆れるほかない。
こんな人間が追悼文など書いてもいいのだろうかと思うが、ご用とお急ぎでない向きはお付き合いいただきたい。
思えば私がオースターの名前を知ったのは、1989年。18歳のときだった。『小説奇想天外』で大森望が「アメリカの安部公房」と紹介していたのがきっかけだった。
最初に読んだのは『幽霊たち』。なるほど依頼を受けた私立探偵が不条理な世界に巻き込まれる展開は『燃えつきた地図』を思わせるが、逆に言えば安部公房なのはそこぐらいで、後に翻訳される作品を読めば読むほど安部公房とはかけ離れた作家だということが明らかになってゆく。
次が『孤独の発明』か『シティ・オヴ・グラス』だった。『シティ・オヴ・グラス』も、エドガー賞候補作ということもあってか、当時はちょっと(いや、大分)変わったミステリとして紹介されていたのだから、いま思えば嘘みたいだ。
以来35年間、翻訳された作品はリアルタイムで追っかけてきた。作品にまつわる思い出はいろいろある。
大学最後の春休みに小笠原諸島へ旅したとき、往復のフェリーで読んだのは『ムーン・パレス』だった。語り手が過ぎ去った学生時代を回想する話で身につまされた。
お米を買いに出かけた途中、本屋で『偶然の音楽』が出ているのを知ってしまい、お米が本に化けたこともあった。読んでみると博奕で身ぐるみスッてしまう男の話で思わず苦笑してしまった。
オースターは1998年秋に一度来日している。何で憶えているのかというと、そのときちょうど横浜対西武の日本シリーズが行われている最中で、野球好きのオースターは試合を見に行ったのだろうか、俺が担当編集者なら接待として連れて行くのに、と下らないことを考えたからだ。
私がいちばん好きなオースター作品は、いや読むたび胸に迫るオースター作品は『最後の物たちの国で』だ。自分にとって大事な小説を5本選べと言われたらおそらくその中に入ると思う。
作中で描かれる、どことも知れないが荒廃し切った国の姿は、いま世界を見回すとより切実なものとして感じられる。もちろんオースターが2024年の未来を予言していたなどと馬鹿を言うつもりはない。おそらく彼は、人間が社会を営むかぎりいつかどこかで必ず訪れる破局と荒廃について――それは古代エジプトにもあっただろうし未来にもあるのだろう――書いたのだと思う。しかしどれほど世界が救いのないものになろうとも「肝腎なのは生き延びることです」という主人公の言葉が刺さる。これからも私にとっては一生刺さり続ける言葉である。
上に書いた文章で、アメリカの安部公房とかミステリとか、私はオースターが初紹介されたころの錯誤について書いた。しかしそれをいまの視点から難じようとは思わない。
むしろプロの翻訳家・書評家さえ作風を掴みかねていた時代から、リアルタイムに一作一作を読むことで、ポール・オースターとはどういう作家なのかとイメージを積み重ねてきた経験は、いち読者としてまことに得がたいものだったと思うのだ。せめてその眠りの安らかならんことを。