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究極の趣味人は「山屋」なのかもしれない。

 もし「何の見返りも期待できないのに没頭できる物や事、それが趣味」と言う僕の昨日のnote「趣味ってなんだろう」の定義付けが正しいとするならば、究極の趣味人は「山屋」と言う事になるのかもしれない。「山屋」とはただ生ぬるい感じで時々登山をする人では無くて、自分の命を張ってでも登山する人達の事。

 山登りに関しては例えば野口建さんみたいなプロもいるのだが、個人的には「山を登りたくて、それには資金がいるので、それを募っているうちにプロになってしまった」と言う感じに見える(違ったらごめんなさい)。そもそも「期待値」と言うか「見返り」を期待してその世界に入り、結果的にプロ化して行く「職業として成り立っている仮想通貨の個人投資家」みたいな成り立ちとは、随分と辿ってきた道のりが違うような気がする。

 う〜ん、やっぱり僕は「コスパ重視の凡人」なんだなと心の底から思う。自分の命を張って何かに挑戦するって、どうしても何かしらの見返り(それが例え「見返り」では無くて「期待値」でも)が無いと挑戦できない。そう考えると、僕は今のままの「無趣味の人」でも良いのかもな、なんてボンヤリ思ったりもする。いやでも、そうやって見返りのない何かに没頭できる人に、正直少しだけ憧れてもいる自分もいるのですが…。

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