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「不幸」は「幸福」の母。

 人間ってやっぱりちょっと不幸な事が自分に起きると、その時は多少は誰でも落ち込む。しかし長い目で見ると、それが幸福への種だったりする事も多々ある。何故って不幸な事が起きると「このままじゃいけないんだな」とこれまで挑戦して来なかった事を色々と試してみざるを得ないから。

 今回はまあ「不幸」が種だったわけでは無いが、昨日も書いたある音源制作のお仕事、最近あまり仕事が忙しくなかったので「ついでにこれも僕にやらせて下さい」と1つ提案してみたら、今日「こことここを直して下さい」と言う返答は来た物の、僕がそれを担当する事自体は快諾して頂いた。

 これがもし今猫の手も借りたいぐらい忙しかったら、間違っても「ついでにこれもやらせて下さい」などとは言わなかったであろう。そう考えると今回のケースもある意味「不幸」が「幸福」を連れてきた感じになるのかもしれない。

 そこを突き詰めて考えて行くと世の中に「不幸」は存在しないんだな、と言う結論に達する。我々が「不幸」だと思っているのはどれもすべからく神様が我々にくれた問題提議で、それを解決して行く中にこそ人生の楽しみがあるのだ、と僕は信じて疑わないんである。


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