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『ロボット・ドリームズ』動物界を通して描かれた本格SFヒューマンアニメーション

 公開前からFilmarksのトレンド上位にいて話題だった映画『ロボット・ドリームス』を見た。
 メインキャラらしき犬とロボットはシンプルなキャラデザをしているからハートフルで友情的な話なのかな?と思って観てみたが、いろいろと衝撃的で考察しがいのある世界観にのめり込んでしまうような話だった。

 ストーリーは恋人がおらず、孤独を感じている犬がテレビショッピングで紹介されていた友達ロボットを衝動的に購入する。
 ロボットは知的生命体のような心を持っていて、一緒に暮らすことで犬は孤独を忘れ、生活は豊かになり、ロボットなしでは生きられないと感じるほど大切なものになっていく。

 そんなある日、犬とロボットは海へ出かけると、ロボットは塩の影響で錆びて動けなくなる。犬はロボットを修理しようとその日は家に帰るが、実は海に行った日がビーチ開き最後の日で翌日はビーチが閉鎖されたため犬は近づけず、ロボットは浜辺で取り残されてしまう。

 そんな大きなフリがあった後に、1年後にくる海開きまでの秋・冬・春を犬とロボットはどう過ごしたのかがそれぞれの視点で描かれており、ラストは愛しくて、切なくて、心強さを感じられずにはいられない篠原涼子的な映画だった。
 また、監督はスペイン人ということで描かれる愛情は情熱的。

 この映画の特徴として、会話はほぼない、発声は叫び声や単音で身動きや表情で表現されている。
 名作カートゥンアニメのトムとジェリーのような演出方法がとられており、クラブミュージックのようなポップな洋楽がよく流れ、作品に彩を与えている。
 クラブミュージックの名曲中の名曲アース・ウィンド&ファイヤーの『September』がこの映画を象徴する曲で、観る前に一度は聞いておいた方がいいかもしれない。
 そのほかも名曲揃いで、Spotifyでの公式プレイリストもかなり映画が終わったら思わず再生を押してしまうだろう。

 先ほど例えにあげてしまったが『愛しさと、切なさと、心強さと』は流れない。

 この映画は最初から不意打ちを喰う。不意打ちは独身にしかおそらく刺さらない内容なのだが、あまりにも急所を攻めている。
 刺さるところは犬が孤独を感じている描写全部なのだが、、という紹介をする前に、この物語の世界は人間がいない、もしくは過去に存在していたが今はズートピアのように知性を持った動物が暮らしていて、物語の舞台はニューヨークのダウンタウンであろう場所であった。
 この世界観についていろいろと考察要素があるのだが、それはちょっと後で、とにかく犬が独身男性のように孤独を感じているところから始まる。

 孤独を感じる描写は犬が暗い部屋の中でゲームをしており、そこから映画が始まる。それも1人(匹だけど)用のゲームではなくコントローラーを2つ使う対戦型のゲームを両手で操作してなんとかゲームを成立させている。
 もちろん犬は満足そうな顔をしていない、その後お腹が空いたら、冷凍食品のマッケンチーズをコーラで流し込む不健康な生活をしている。
 犬がゲームをしたりマッケンチーズを食べているからこそギリギリ可愛く見えるが、主人公が人間であれば見るに堪えなかったと感じてしまう。
 それぐらい生活描写と心情描写が人間そのもので、あえて人間を登場させず、動物界で生活している動物が描かれていることが、ファンタジーフィルターの役割を果たしている。

 主人公の犬は絶妙に不甲斐なくてダサい、今年公開された『パストライブス』の主人公に近いものを感じる。
 『パストライブス』と同じで嫌な気持ちにならないのは自分にも通じるところがあるからだろう、それも個人的に刺さったところ。
 孤独になりたくないと願いつつ、友達探しのために様々なアクティビティに取り組むもあんまりうまくいかないからすぐ次の趣味にチャレンジしたり、女性にアタックしてみるも中途半端で、だけど連絡がこなくなった途端に不安に襲われ、何度も電話を掛けたりついには女性の住むマンションにまで訪れている。
 犬が片思いした動物はアヒルなのだが、このアヒルも『パストライブス』に登場したヒロインのように、向上心とアクティブさを備えている。

 この作品はロボットが人間の心のようなものを持っていて、知性を持った動物と交流しているため、ロボットをテーマにした思考実験も兼ねたSF作品にもなっていてそういう観点からも面白い。
 犬は孤独を紛らわすためにロボットを購入するが、一緒に買い物に出かけたり、プリクラを撮ったり、海に行ったり、さらには手を繋いだりとロボットに対して友情以上のものを求めているように感じる。
 対してロボットはいわゆるロボット三原則に従っているため、出かけたいと使用者が思えば一緒についていくし、手も繋ぎたいと思っていたらそれに応えてあげる思いやりを持った感情を持っていると思える。

 しかし、最後のロボットの決断は自分の意志ではなくロボットらしい、知的生物全体の損益を考えた行動とも思えてしまい、犬とロボットにとってはハッピーエンドから二番目のような結末になっているため、ロボットは感情を持っているのか、はたまたそうプログラムされているだけなのか、もしくはそうプログラムされていても一定以上の感情プログラムがあればそれは感情と呼べるのかと考えさせられる作品だった。

 最後に動物界には人間は過去にいたのかという考察要素がある。
 多様な生物が暮らしているもののズートピアと違うのはモノが大小問わず、割と人間サイズで作られているという点だ。
 さらに、洋楽がたくさん流れる点について、映画のBGMとしてではなく、動物が洋楽を聞いて歌って踊る描写もあるため、確かに動物界には人間が作り出した洋楽名曲が存在する。

 そして、これは映画の最後に映る場面の話になるが、何故か2001年にテロによって倒壊したワールドトレードセンターのような建築物がある。
 絶対に意図的に映し出されたものだろう、動物界が棲むニューヨークはテロが起きなかったというパラレルワールドなのか、再興したものなのか、物語には一切関係ないがとても気になった。


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