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入間人間『六百六十円の事情』〜While My Guitar Gently Weeps〜

『カツ丼は作れますか?』
とある地域の住民がインターネットで意見交換をする掲示板にて投げかけられたこの質問から始まる小説『六百六十円の事情』
入間人間さんの隠れた名作だと思っている。

物語はこの投稿から始まり、カツ丼を作れる人、作れない人、作りたい人、掲示板を見てさまざまな想いを感じたこの地域の住民の生活を描いた日常系群像劇である。
確かにカツ丼は作るのは面倒くさい、スーパーでカツを買って卵でとじたことはあるけど、わざわざ自分で豚肉を買い、衣をつけて、サクサクに揚げたものを、だしと卵に絡めるなんて面倒だ。
カツ丼が作れるか、作れないかで人間が少し見える気がする。

僕は特に第一章『While My Guitar Gently Weeps』という話が好きだ。
題名を聞いてお気づきの方もいると思うがBeatlesで同じ曲名があり、その曲がテーマになった話でもある。
『While My Guitar Gently Weeps』はBeatlesの中で僕の一番好きな曲だったので、その題名がついた物語があってとっさに購入してしまった。
この章は好きすぎて何回も読み返してる。

主人公三葉が主人公になることを目指す話、100Pくらいの量だけど『なんとなく持っていて捨てられない夢』だった気持ちが『夢を持って歩いていくことの楽しさ』に変わる過程を描いた素晴らしい話であり、何より三葉が良い馬鹿キャラで、とっても明るくなれる作品。

どのくらい馬鹿かというとこの章は三葉の「えーきせんとりっく、えーきせんとりっく――」という謎の叫びから始まる。

そして、とにかく読んでいて楽しい作品で入間人間さん独特のテンポ良い会話劇と心情表現が盛り込まれている。

主人公の三葉由岐は中学時代、進路希望表で高校進学や就職とは書かず『主人公』と書く、ヒーローになりたいと夢見る少女だった。
しかし、主人公になりたいと思うものの、何を目指したいのかも見つからず、高校を卒業してからは進学せず、職にもつかず、定食屋で働く大学生の静という彼氏と同棲という名の寄生生活を送る日々、なかなかのぐうたら人間である。
そんな彼女の好きなことはギターを弾くことだ。

高校時代に購入した3万3千円のアコースティックギターを持って、近所の空地か駅へと向かいそこでギターを弾きながら歌う日々、聞いてくれる人なんてだれもいない。
そして弾ける曲は『While My Guitar Gently Weeps』の一曲だけ。
ギターで食っていけたらいいなと思いながらも、それ以上の努力をするつもりはないからこの先どうやって生きていこうと悩んでいる。

そんな日々を送っていた三葉は『カツ丼作れますか?』という投稿を見る、彼女はカツ丼が作れない、一方彼氏の静は作れるため「練習すれば作れるよ、練習してみる?」と教えようとするが「努力キャラじゃないし」と断ってしまう。
彼女は努力型の主人公ではなくて天才型の主人公になりたいようだ。

静の働いている食堂のカツ丼の値段が六百六十円、当たり前だけど、彼がカツ丼を1つ作るごとに六百六十円を得ることが出来る。
一方、三葉はどんなにギターを弾いても1円も得ることができない。
誰も聞いてくれないのだからこれも当たり前だ。
交換条件で成り立っている社会で自分がはじき出されていて、さらには彼氏に寄生をしていることは主人公どころか誰かの脇役にも機能していないことを六百六十円のカツ丼で思い知ることになり、人生の辛さを痛感する。

三葉は背けていた現実を見ようとギターを弾いているだけの生活を辞めて働こうと言い出した時、ついに静の口からこう問われる。
「由岐は、何がしたいの?」

どこに進むもうか見失っている人に対して「何がしたいの?」は絶望を与える一言に等しい。
静は三葉の手助けをしたいと思って言っているが、彼女はずっと何がしたいかに目を背けたまま、ただずっと主人公になりたいという想いだけを持っていたから、答えが出せず、自暴自棄になりアパートから逃げ出して、自分探しの旅に出て様々な人と出会う。
旅に出ると、様々な人と出会うと言っても、この地域から出ていないし、出会ったのもこの地域の住民だけだけど、彼女にとっては大きな意味を持つ旅だった。

そして彼女は旅を通して自分のギターが誰かに認められた気がして自信を持つことが出来る。

一つでも人生の過程を認められれば、少しは前向きになれるんだよ。

人間ってそんなものね、ってね。

入間人間『六百六十円の事情』P85より

話題の映画『ルックバック』もそんな前向きな力が発揮された印象的な映画だった。

主人公を目指しているけれど、それの価値は自分にはないとも思っている三葉はまぎれもなくこの章ではダメ主人公でも主人公として描かれている。

そして、気になっているだろうこの曲と話の関係性についてを紹介する。

Beatlesの『While My Guitar Gently Weeps』訳すると「僕のギターが優しく(静かに)涙を流す間」となる。
曲の中身についてはいろんな解釈があり、Beatlesがこの時期不仲になっていてそれを憂いた曲だとか、この曲を作ったジョージ・ハリスンが古代中国の書物『易経』の理論から実験的に書かれたとの逸話も残っているため哲学的な内容でもあるかもしれない。

ちなみにこの曲はジョージ・ハリスンの親友であり史上最も重要で影響力のあるギタリストの1人とされるエリック・クラプトンがギターソロを演奏してる。

歌詞は相手が変わってしまったことを憂いているけれど、ギターを弾いている自分が変わっていないのか、もしくは気づかないところで自分が変わってしまったから相手は離れてしまったのか悩んでいて、それでもギターを優しく奏でていることをやめない、儚さが残る失恋ソングのような寂しさを感じる。
だけど、優しくすすり泣くような余韻が残るギターメロディーが流れているため心地良いとも感じる印象的な曲だ。

エリック・クラプトンにしかできない表現力だと感じる。特にイントロと間奏が素晴らしく、心を掴まれる。

曲と作風のテンションが違うがちゃんとこの物語と歌詞は重なっている。
三葉は何年たってもまともに弾けるのが1曲だけで、彼女がギターを誰も聞いていないのに奏でている間、みんな変化し続けていて、ようやく彼女はそのことに気づく。

そんな三葉を優しく見守る彼氏と、変人だと思う住民、そして好きなギターを捨ててまで変わることは前に進むことなのか悩み続ける三葉、この本を読みながら『While My Guitar Gently Weeps』を聴く、最高だ。

以前にも入間人間さんの作品を紹介しているのでよければこちらもご覧ください。




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