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高比良くるま『漫才過剰考察』を読んでお笑いの奥深さと謎さを実感する
昔やっていた『エンタの神様』とか『お笑いレッドシアター』が好きで、今でもお笑い芸人がネタを披露する2時間くらいの番組がやっているのを知ると、ついつい見てしまう。
最近だとAmazonprimeで配信された『ゴールデンコンビ』は一気見してしまうくらい面白かったし、芸人のANN(三四郎、マヂカルラブリー)はリスナーだ。
M-1グランプリも僕は毎年必ず見ている。
この本は昨年にネタを披露するという順番が1組目という圧倒的に不利な出順だったにも関わらずM-1グランプリで優勝を果たした『令和ロマン』の高比良くるまが近年のM-1グランプリとこれからの漫才に焦点を当てて、彼なりの視点からタイトルの通り過剰に考察された本だ。
お笑い(漫才)が好きな人向けの本で、今のお笑い界・お笑いに関するショーレースがどれほど過熱化し、コンテンツとして盛り上がりをみせていて、芸人はその熱に少しだけ振り回されていることを説明している。
正直、メタ要素もあって分かりやすくはないし、M-1決勝に出場して優勝することの難しさをお笑いのジャンルや、出順、近年のネタの傾向を踏まえて語っている本なので興味のない人はもちろんだけど、お笑いが好きな人にとってもかなり難しい本だった。
だけど、そもそもお笑いや漫才を語るってかなり難しいことだと思う。この本は漫才の難しさと不確定要素、奥深さがちゃんと言語化されていて、彼のお笑いに対する熱がダイレクトに伝わる。
人を笑わせようとネタを考えるって、個人的にはかなり異次元の思考な気がする。相方という存在はいるけれど、世に出すまでその言葉が笑いを生み出すかなんて正確には分らないんだから。
それでも、滑るかもしれないという不安は隠して、自分が一番面白いと信じてステージに立たなければいけない。
今の賞レースでネタを披露するには、ロジック構築が必須となっているので人を笑わせるために一定の条件はあるからお笑いというのは分からなすぎる。
この本の冒頭、高比良くるまがM-1優勝を成し遂げたけど、自分が思い描いていた感動的で完全燃焼を果たした満足できる優勝とはちょっと違くて、それでくるま自身の人生を振り返ると、自分の人生ってこれまでもちゃんと結果は伴っているけど、何かが完成したような達成感がなく、実力は伴ってないということに気づく。
そして、自分のために、M-1グランプリのために、もう一度M-1に出場しようと決め、M-1と漫才が解剖されていく。
1万人近くが毎年M-1予選にエントリーする。
予選を勝ち上がり決勝、つまりテレビに出られるのはわずか10組で、その頂点を競うのだから、M-1に優勝するというのは「難しい」と1言で表現できないくらい難しい。
以前マヂカルラブリーのラジオで今のM-1で決勝に進むまでは完全な実力ゲーで、決勝は運ゲーだと言っていた。
理由として、余計なボケ・ツッコミを入れずに完璧に台本を仕上げた状態で決勝に挑み、お客さんが笑う、もしくは笑いを待つ会話の間を把握し、一度も嚙んだり、ネタが飛んだりしないで最高の状態で披露することは前提である。
その上で決勝の舞台は出順、ネタ被り問題、会場の雰囲気、お客さんのツボ、審査員の好み……エトセトラ、そんな不確定要素満載の中、運を手繰り寄せなければ優勝まではたどり着けない。
そんなM-1に優勝し、結果は優勝だけど過程が気に入らないからまた出場して優勝を目指すというのは、文で表現すると傲慢な気がするし、令和ロマン以外に優勝して欲しいお笑い芸人のファンはまたM-1に出場しますと表明し、実際に準決勝まで勝ち残っているのだから、怒ることや、邪魔しないで欲しいという気持ちも正直分かる。
彼の信者ではないし、庇うわけではないが、高比良くるまの納得がいかないからもう一度M-1に出場したいという気持ちは傲慢だけど、プライドが高いわけではないと思う。
誰かの邪魔をしたいとか、他の芸人はつまらないから俺が優勝して面白いことを証明したいとかではなく、他の芸人をリスペクトしているし、M-1とお笑いに対する情熱は他の芸人と同じくらいある。
そのために純粋に考察して、どうすればM-1という大会を盛り上げたいかと考えている。
そういうエゴを持っている人種は他の芸人にはいないから異質だということを読めば理解できると思う。
例えばこれは有名な話であるが、2023年のM-1で令和ロマンは決勝で披露するネタを4本ほど備えていたそうだ。
M-1に出場する芸人は1年間劇場や寄席で磨きに磨いたネタをファーストラウンドと、上位3組で競い合うセカンドラウンドの2本を用意していくことが多い。4分ネタなのにたった2本?と思うかもしれないが、その2本を完璧に仕上げるのに1年がかりになるのだ。
ネタを変えたとしても1stと2ndのネタを入れ替えたり、予備で1本持っていくくらいで、普通の思考ならM-1決勝に出しても恥じないと自信を持てるネタを何本も用意する発想はできない。
しかし、令和ロマンは用意していた、会場の雰囲気と出順からあの少女漫画のネタが最適だと解を出し披露した。
結果それが上手く行って最後まで勝ち残り、2ndステージもキャッチーなネタだったため激戦を制して優勝した。
もしかしたら、別のネタでも優勝していた可能性もあるので結果論かもしれないが令和ロマンは様々なシナリオを考えていたことは間違いない。
しかし、そもそも高比良くるまにとっては優勝よりも盛り上がって欲しいことを重視していたのでくるまにとっても見当違い。
令和ロマンの高比良くるまは純粋にM-1を盛り上げようとしていただけなのに、十分に盛り上げられられず、しかもそのまま優勝してしまったのか……
そして、大会を振り返り、もう一度出ようと思ったのかがくるまの考察によって語られるため是非一度読んで欲しい。
考察は2023年大会だけでなく2018年の大会から考察されているため読んでいくうちに主張は納得性も出てくる。
お笑いを見て笑う理由は、そりゃ面白いから。
だけど、観客の笑うという行為は芸人たちがどれほどのロジックを構築して、細心の注意を払って熱が注がれた結果で生み出された感情なのかが分かった気がした。
そしてお笑いの未来はどこへ向かうのか、それが書かれている。
お笑いって奥深いというか、読んでも謎すぎる。
だけど、これを読めば今年のM-1はより楽しめること間違いなし。
巻末に収録されている粗品と高比良くるまというM-1優勝経験者の対談もものすごくハイレベルに通じ合っているので必見だ。