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民主主義が独裁者を生み出す
過激な、そしていささか逆説めいたタイトルに引き寄せられて読み始めました。『さらば、欲望 資本主義の隘路をどう脱出するか』に収められた佐伯啓思氏の論考です。保守の論客として知られる佐伯氏はその本の中で近年のトランプ現象について以下のように語っています(同書pp.38-41)。
「2016年にトランプ氏が米国大統領に選出されたとき、トランプによって米国が二つに分断されたという見方があったが、実はそうではない。すでに分断されていた結果がトランプを大統領に持ち上げたのである。また、トランプは民主主義の敵であり、民主主義を破壊するという見解もあるが、これもそうではない。まさに今日の民主主義がトランプを大統領の地位に押し上げたのである」
佐伯氏はハーバード大学のレビツキーとジブラットという二人の政治学者が表した『民主主義の死に方』という本を取り上げて、以下のように解説しています。
「彼らは、今日の米国の民主政治がまさにトランプという『独裁型』の指導者を生み出した。その背景にあるの移民の流入であり、1960年代の公民権運動以来、米国は多様な移民を受け入れ、非白人の人口比率は50年代には10%だったのが、2014年には38%になり、44年までには人口の半分以上が非白人になると見られている。移民のほとんどは民主党を支持し、一方、共和党の投票者はほとんどが白人だった。つまり、移民の流入という米国社会の大きな変化が自らを『本来のアメリカ人』と考える白人プロテスタント層に危機感を生み出し、それが共和党と民主党の激しい対立を生み出し、その結果、『アメリカが消えていく』という危機感を強く持つ共和党が、いっそう過激なアメリカ中心主義(白人中心主義)へと傾いてくことになったのだ」(一部改変)
「トランプ現象の背景には、グローバル競争の中で、経済的な苦境を強いられる『ラストベルト』の白人労働者層があり、トランプの反移民政策は彼らの歓心を買うためのポピュリズム(大衆迎合)だと言われる。それは間違いではないが問題の根ははるかに深く、共和党からすれば、民主党は『アメリカの解体』を測っているように映るのである。今日、両者の対立はもはやリベラルと保守と言ったイデオロギー的なものでなく、人種、進行、そして 生活様式という生の根元が分断された結果なのである」
「リベラルと保守という思想的な対立の時代は、共和党にもリベラルな政治家がおり、民主党にも保守的な考えがあった。その結果両者の間ににはまだ共通の了解が成立していた。・・・ さらに『自己抑制』の不文律があり、その上に両派の『均衡』が成立していた。つまり『礼節』や『寛容』を含む『自己抑制』という目に見えない規範だけがアメリカン・デモクラシーを支えていたのだ。
しかし、この目に見えない規範が共有されていたのは、実は米国は白人中心の国だという人種の論理が暗黙裡に共有されていたからである。だから、60年代以降人種差別撤廃運動が生じ、民主主義は進展した。ところがこの民主主義の進展が共有されてきた暗黙の規範を失墜させ、アメリカ社会の分断を招き。民主主義を破壊してしまっているのだ」
この逆説的とも思える結論に私は頭をが~んと殴られたような気分になりました。でも、考えるうちにまさにそうなのかもしれないと思うようになりました。二人の論を解説した後で佐伯氏が述べている以下の言葉によってもその認識が強まります。
「民主主義なら政治はうまくいくという理由もなければ、米国の憲法や文化のなかに民主主義の崩壊から国民を守ってくれるものがあるなどという理由もない。それは日本も同じである。・・・ 今日、何事においても事態を単純化しようとするメディアやSNSの影響力を前にして、民主主義はすべてを敵か味方かに色分けし、対立者を過剰なまでに非難するという闘争的なものへと変化している。対立する両派とも、わが方こそが「国民の意志を代表している」と主張し、『国民』を人質にすることによって自己正当化を図る。言い換えれば、対立者は『国民の敵』だというのだ」
佐伯氏は「民主主義の進展こそが様々な問題を解決してくれるなどと期待してはならない」とも言っています。民主主義はいろいろな姿をしており、扱いによってその姿を変えるような気がします。