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▶︎ 塔本絵画教室について

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」これは室生犀星の詩の有名な一節です。

 当時犀星は故郷の金沢に居ながらこれを詠んだらしいから作者の心情としては直訳するよりもっと複雑みたいですが、ぼくはどうしても愚直に「ふるさとは上京するなどして遠く離れた異郷にあってこそ懐かしく思い出されるもの」と取ってしまう。

 ふるさとではないですが、わたしには長い間ほんとうに行きたい場所会いたい人とは行かぬ方が良いし会わぬ方が良いと頑なに思い込んでる時期がありました。なかなか実家に寄りつかなかったし、会いたい人とも距離を置いていた。見たくない現実がたくさん見えて、理想を崩すのが怖かったんです。現実味が強過ぎて、せっかく思い描いた理想が台無しになってしまうから。

 そんな気持ちの表れからずっと憧れの対象であった先生とも疎遠になりほとんど会わずじまいでした。ほんとうはもっと会いたかったのに。とても自分を買ってくれてるだけに、これじゃ駄目だ、もっと名前が売れてからでないととても顔を見せられない。そんな強い抵抗がありました。

 先生というのは塔本賢一さん(すでに逝去されている)のことです。賢一先生は奥様のひろこ先生と二人でわたしの地元田辺(現在の京田辺)で絵画教室をされていました。ぼくは小学生の頃、その教室に絵を習いにいく一生徒でした。

 賢一先生ひろこ先生ともにプロの画家でした。賢一先生のことを知る人は少ないだろうけど、「シスコ」という名前なら聞いたことがあるかもしれない。今となっては塔本先生といえば母であるシスコさんの名で知られてしまって、息子の賢一先生についてはシスコさんの歴史を語る際に補足で名が挙がるくらいでほとんど知られなくなっています。

 たしかにシスコさんの絵が素晴らしいのは間違いないのだけど、塔本賢一先生の絵のスゴさを見てきた絵画教室の元生徒としては、とても複雑な心境です。(もちろん浩子先生の絵もファンがたくさんいて素敵な絵でしたけど、わたしの趣味としては賢一先生推しです)

 ぼくとしてはもっと賢一先生らの絵が評価されるべきと考えています。すでに先生はお亡くなりですが、でもだからといって このまま社会から抹消されてしまうのはすごく悔しい。だから ぼくが生きてるその間だけでも先生のことをもっと世に知らしめ再評価を促していきたいと息巻いております。

(もちろんご遺族の意向もあるかと思いますので そこは慎重に、いつか公認してもらえることを夢みながら ファンとして関わっていくつもりです。)

 以後の活動にご注目ください。


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