「ウインダリア」感想・追記
目次
1.「ウインダリア」概観
2.疑問点と考察
3.人間存在、ジブリとウインダリア
1.「ウインダリア」概観
1986年、「天空の城ラピュタ」と同年に公開された、隠れた傑作長編アニメーション、「ウインダリア」。
世界観設定は王道の近世期邦ファンタジーで、しかし魔法の類は基本的に見うけられない。劇伴音楽はすばらしく美しく、儚げな花を物語に添えている。新居昭乃氏の主題歌はまさに幻想的な旋律でもって、主人公である若き青年イズーの哀しみに寄り添う。科学技術の発展度合いの矛盾など設定の甘さが目に付くが、今作の描き出す人間存在の愚かさと迷い、その魂の美しさを鑑みれば、取るに足らない枝葉末節といえる。
パロのジル王子とイサのアーナス王女、村の青年イズーと妻マーリン。互いに交わることのない二つの物語が描く、この作品の遣る瀬無さと切なさとは、各人が作品をみて感じてもらうのが一番だろう。この記事では、主に作中に見られる疑問点や世界観設定に関する考察を取り扱う。
2.疑問点と考察
イサの国の立地
満潮時に水門を開放するだけで水没してしまうような低地に、なぜイサは建設されたのだろうか。「低い国」オランダと同じように、土地を求めた結果なのか。しかし水際に首都を建設する強い理由は劇中では一切語られないので、未読の小説「ウインダリア 童話めいた戦史」に期待しようと思う。
居眠り水門番ピラールが何十年も役割を全うできたのは、イサの国の永い平和がもたらしたいい意味の緊張感のなさかもしれないが、あの危険な立地において、日に二度ある潮の干満に合わせた水門の開閉を行うには、やや弛みすぎだといえなくはない。友人に裏切られ、街が激流に沈んでいく光景をみつめる彼の表情には、形容しがたい遣る瀬無さがある。
パロ王の欲望と怠惰
水路と風車の国イサに対立させて描かれる、煤煙と怠惰の国、パロ。暴君パロ王は説明もなく「美しいイサが欲しい」と声高に叫ぶ。かつての「強きパロ軍」は工業発展の末に手にした無気力と放蕩に犯されて、酒と怠惰に溺れ、火薬の入れすぎで大砲を爆発させ、見知らぬ若者に戦車を渡してしまい、娼館の中へ入っていく。
王は美しい土地を求めていた。そうであれば、まず自国を美しく変えようと試みるべきだったのだ。しかし怠惰な王は、できあいの美しさを戦争によって買おうというのだ。しかし王ははじめに、工作員を送り込み、イサの都の水門を開け、海に沈めようとした。海に沈んだ美しい国に、王は何を求めたのか。彼は無意味な欲望と行き過ぎた怠惰によって、気狂いになっていたとしか、説明できそうにない。
幽霊船とサキの民
ウインダリア世界では、死者の魂は赤く光る鳥になって、空に浮かぶ「幽霊船」へ飛んでいく。船長は10年の間地上との関りを断つ。この10年という約束は、船とサキの村との約束だと説明される。かつて、この約束がなかった頃、死者の魂は世界を彷徨うことになっただろう。そこで、死者の魂の守り人として、船が造られ、船長が必要になった。超技術をもっていた古代ウインダリア民の末裔である(と思われる)サキの民、ウインダリアの木の麓に棲む民と幽霊船とは、この約束によって代々死者の魂の平穏を祈り続けた。推測だが、このような歴史があったのではないだろうか。
船長バンボウは名前のみの登場で、幽霊船のことが詳しく語られることもない。登場シーンも少ない。このことが、船の作品における不気味な、霧のように捉えどころのない独特の存在感をもたらしている。
石化したドルイド
バンボウを送り出したその妻ドルイドは、彼を求めて彷徨い歩く。稼ぎがいいから(賃金はイサの都によって支払われる?)、と勧めた彼女だったが、10年という月日は彼女を変えた。彼女は、褒賞につられてイサを海に沈め、聖堂に集った市民を溺死させたイズー青年の鏡像であったのだ。戦争によって妻マーリンを失った彼に、一羽の赤い鳥を惨めに追う彼に、「彼の気持ちがわかった」と言い残し、ドルイドは石化した。
約束の10年まで、あと半年だったはずだのに、彼女は石化した。思うに、これはウインダリアの木の優しさなのだ。待ち人を待つことにおいて、もっとも苦しいのは、喪失を抱えながら、日常の生活を維持することだ。9年半待ち続けた彼女に、神木ウインダリアは、慈悲として、石となり、文字通り崖の縁で夫を待つことを許したのだ。
「良い思い出だけを遺す、ウインダリアの木」は、歓びとともに哀しみの満ちる世界で、人々の心の拠り所として、祈りをささげる神として、巨大な枝葉や根を広げている。
(サキ村の平原に点在する無数の岩は、祈り、何かを待った古代のひとびとの名残か。劇中1カットだけ、岩のうえに三話の白い鳥がとまっているという光景を意味ありげに描いているが、具体的な意図があるのだろうか。)
3.人間存在、ジブリとウインダリア
一見してもらえばわかるが、作中には多くのジブリ的、「ナウシカ」的な影響が見られる。「天空の城ラピュタ」が同年8月公開、今作が7月公開なのだが、なぜか「ラピュタ」色も多分に感じられる。「ナウシカ」の影響があるのは当然として、いくらか不思議でもある。業界内での流行だったのか、スタッフ間の情報共有によるものか、正確にはわからないが、やはり相似するものは多い。
神聖な巨木、戦車、飛行船、古代民族、空に浮かぶ古代民族の船・あるいは城、その超技術、肩に乗る尾の大きな小動物と、キツネリスのテト。
だが、「ウインダリア」には明確な悪人がいない。イサとサキを滅ぼしたパロ王でさえ、妄執にとりつかれた狂人であって、単に悪と切り捨てることも難しい。永すぎた平和によって戦争の恐ろしさを忘れ、戦うことによって自らを安心させようとするイサの王妃と家臣たち、市民たち。
洪水からイサを救った功績を軽んじられ、野望を村人に笑われた、夢見がちな若き青年イズー。狂人パロ王に雇われ、エアバイクの凶暴なエンジンの振動に理性を失い、報酬の金と女とに自分を見失う。約束を思い出し、妻マーリンのもとへ帰ったとき、すでに彼女の待つ家に灯りはともっていなかった。後悔に打ちひしがれ、青年は大木の根に身を横たえ、泣き崩れる。
悪い夢をみていた そこは地球の果て…
失くしたものが
あまり多すぎて忘れた
青空だけは残しておいてくださいと
叫びたい
ああ 美しい星
ああ 遥かな時のはじまりに
ああ 生まれた光を
私達は知るすべさえもない
ああ 美しい星
ああ 誰が壊してもいけない
ああ 安らかに眠る
子供達に伝えてゆくために
「美しい星」 新居昭乃