『サスペリア2』 真犯人の行方
ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア2』(原題は、"Profond Rosso" 英語名は"Deep Red")について感想を書きます。以下、ネタバレしますので、未観の方はご注意ください。
1 はじめに
この映画をテレビで観ました。『サスペリア2』という邦題ですが、『サスペリア』より前に作られた作品です。英語の題名が"Deep Red"とあるとおり、題名に『サスペリア』との関連を示しているのは日本くらいで、その理由は『サスペリア』がヒットしたのでその続編的な題名を付けて観客動員を目論んだからだそうです。
私個人の感想ですが、この映画の方が『サスペリア』より怖くて、しかも物語がよくできているように思います。途中、登場する不気味な顔の人形の下り(くだり)など不合理な箇所がありますが、まぁ、それは犯人の異常性が引き起こした空間のゆがみみたいなものということで、無批判に受け入れることにしました。
この映画、初見では「ただただ怖い」ということだけでしたが、二度三度と観ていると、主人公の友人(カルロ)や真犯人は、主人公が徐々に真犯人に肉薄していくのをどう感じていたんだろう。主人公に近づいて来る女性記者は単にトクダネを狙っているだけなのか、主人公に気があるだけなのか、それとも犯人の一味なのか、いろいろ考えられるけど、それぞれでどう考えたのだろう。と思うようになりました。
そうして、考えるうちに「主人公は殺人事件を追っているけど、カルロらは遠巻きに主人公の動向を見ている。」という本筋とは違う恐怖を覚えるようになりました。脚本は、ダリオ・アルジェント、ベルナルティーノ・ザッポーニです。彼らの優れた脚本の成果でしょう。
2 発端
事件の発端は、心霊術の講演です。いきなり超能力の話ですから「いつものホラーのはじまりかな。」と思ったのですが、事件はそんなふわっとしたものではありませんでした。
惨殺です。
被害者は、その心霊術の女性の講演者。場所は、被害者の部屋。
あまりに酷い殺され方に肝をつぶします。
主人公とその友人カルロ(かなり酔っています。)は、路上で立ち話をしていて女性の悲鳴らしきものを聞きます。私の記憶では、このシーンにエドワード・ホッパーの「ナイト・トホークス」風ダイナー(簡易食堂)がありました。
そうそう、この時(夜遅い時間ですが。)、主人公とカルロが立ち話している道路には人っ子一人歩いていません。静寂です。そういうときに悲鳴が聞こえるのですから、ビクっとしました。
主人公は、被害者が殺されているところを窓越しに見て彼女の部屋に向かいます。被害者の部屋の廊下には、気味の悪い絵画が並んでいました。「どうしてわざわざ危険な現場に一人で行くの?」と主人公を諌(いさ)めたくなるシーンです。
主人公は、実はこの時犯人見ていますが、主人公はそのことを最後まで気づきません。でも、これは逆に観客(観衆)が気付かなければならないことでした。
主人公は、殺害現場に入り惨殺死体を見て驚いているとき、その窓から犯人らしき人物がカルロの横を走り去って行くのを目撃します。
主人公は犯人を捕まえることができませんでした。
3 連続殺人
この後、警察が捜査を開始します。殺害現場の建物の外の規制線の付近で警察に事情を説明している主人公。主人公は、被害者の部屋から絵画が一枚なくなっているような気がすると話しますが、そこを女性記者に撮影されます。そして、その写真はニュース記事の一部として公開されてしまいます。「自分は、被害者が殺害された直後に殺害現場に入っているのだが、残念ながら犯人を見つけることも捕らえることもできなかった。しかし、犯人は自分を見ているはず。」こう考えた主人公は、犯人捜査をはじめます。実際、犯人らしき者は夜主人公の部屋の前までやって来ます。主人公が助かったのは、部屋のドアが施錠されていたからで、危ないところでした。
ところで上記の女性記者は、主人公とともに犯人捜査をはじめます。
妙に主人公に協力的なところが、「実はこいつが真犯人じゃないのか。」と思わせます。主人公と一緒にいないことがけっこうあるし。疑わしいといえば疑わしい感じがします。
そして、第二、第三の殺人が起こります。
いずれも凄惨な殺し方で、私はそのシーンを直視できませんでした。
4 解決のはじまり
主人公と女性記者は、「事件解決の鍵は、数十年前に起きた殺人事件にある。」ことを突き止めます。その証拠を探しに深夜の学校に忍び込む二人。手分けして証拠を探す二人ですが(こういうとき手分けするのは本当に止めてほしい。)、主人公より先に女性記者がその証拠を見つけます。
そこに現れる主人公の友人カルロ。カルロは女性記者を襲い、彼らが探していた証拠を奪い取ります。(この時点で、女性記者が殺人犯かまたはその仲間という疑いは消えました。)
カルロは駆けつけた主人公に「この事件の捜査から手を引けといっただろう。」と言い残し、主人公達の前から立ち去りますが、走行するトラックに誤ってズボンの裾を引っ掛けてしまい引きづられて行きます。悲鳴を上げながら石畳の上を引きづられるカルロ。トラックが道を曲がる度に、カルロの頭は縁石に打ち付けられます。そして、そこにスポーツカーがやってきて、誤ってカルロの頭を轢いてしまいます。弾けるように血を撒き散らしながら潰れるカルロの頭部。
カルロの死をもって、この事件は終了だとみなが思いました。真犯人はカルロだったんだと。
主人公は、でもまだ、最初の殺害現場から絵画が一枚なくなっているのではにかという疑念を晴らすことができません。
最初の殺害現場に向かう主人公。もう一度現場を見たいと思ったのです。
最初の殺害現場を訪れ、あの不気味な絵画を一つ一つ見ていくと、最初の殺人のあったときの記憶が甦ってきます。
主人公は気づきます。「あのとき、絵画が掛かっていたはずのところに鏡がある。ということは、自分が絵画だと思ったのは、鏡に映った真犯人の顔だったんだ。」と。(実は、何度か見直してみたのですが、私にはこのトリックを確認できません。最初の殺人現場のシーンで、私も鏡に映った真犯人の顔を見ようと努力しているんですが、犯人の顔を見つけることができません。他の観客は気づいたのでしょうか?)
5 真犯人は
そのとき(主人公が鏡を見入っているとき)、主人公の背後に真犯人が現れます。ここも怖いです。「気づいたら誰かいる」というのは、本当に怖い。
主人公を殺そうとする真犯人。真犯人は、主人公の友人カルロの母親でした。私は(恐らく観衆も)すっかり忘れていましたが、最初の事件のあったとき、主人公はカルロの横をすり抜けて走り去っていく犯人(と思われる人物)の後ろ姿を見ています。それに、(恐らく最初の被害者の)悲鳴は主人公とカルロが立ち話をしているときに聞きました。カルロが犯人では有り得なかったのです。
真犯人と格闘する主人公。
真犯人は、過去に神経を病み、夫から精神病院に入れらるところでした。それを拒否する真犯人(妻)は、夫を殺害し、死体を隠します。真犯人の息子であるカルロ(当時はまだ10歳に満たないくらい。)は、その一部始終を知っていましが、母親を守るためずっと黙っていました。
カルロは最初から真犯人を知っていました。だから、主人公に「これ以上捜査しない方がいい。」と助言したりしたわけです。また、カルロが腕のいいピアニストなのに、酒に溺れ続けている理由もわかりました。 主人公を襲う真犯人(カルロの母)は、「(自分のせいで)とうとうカルロまで死なせてしまった。」と叫びます。
主人公は、真犯人の猛攻をかわしながら、主人公のネックレスをエレベータにくくり付けます。このエレベーターは古い作りで、格子状になっている外側と内側のドアを開けてエレベーターの箱(ボックス)に出入りするタイプです。格子状のドアの隙間からエレベーターの箱のドア(内側のドア)にくくり付けられたネックレス。そのネックレスはまだ真犯人の首についたままです。
主人公は急いでエレベーターのボタンを押します。下に降りていくエレベーター。それにつれて、ネックレスは下に引っ張られ、これ以上引っ張れないところまで来たとき、真犯人の首はネックレスの張力で切断されました。そして、吹き出す真犯人の血。
画面には"You have been watching Deep Red."と表示されます。
これで最後の謎。この映画の題名が何を言っているのかが解ります。
『サスペリア2』という邦題では、この面白さは伝わりませんよね。
6 感想
真犯人の最後は、夢に見そうなくらい残酷な死に方でした。
それに、主人公を襲う真犯人の顔は、顔面蒼白で完全に正常な精神世界の向こう側に行っているように見えました。
あの真犯人の死に方を「あれだけひどい殺人を繰り返してきたのだから、当然の報いだ。」というご意見もあるでしょうが、私は少しこの真犯人に同情的です。
昔の精神病治療は現代とは違います。投薬などは行われません。ただただ隔離というか幽閉です。病気が治るか患者が死ぬまで閉じ込めておくわけです。
だから、真犯人が精神病院入院を拒否したのは当然だと思います。ただし、そのために夫を刺殺したことは許しがたいことです。この極端な行動は、精神を病んでいた影響でしょうか。
それから数十年して、心霊に精通した超能力者に自分の真の姿を暴かれるのを恐れ、それが怒りとなり、最初の被害者を惨殺したこともまぁ、分かります。
その後の殺人も、動機は「自己の精神障害の隠蔽」であり、そこに「自分が殺人犯であることの隠蔽」が加わっていきますが、これもまぁ、分かります。肯定はできませんが。
人間が自己の保存を目的に行動するという括りで考えれば、真犯人を法的に責めることはできても、それ以上責めることはできなさそうな気がします。
また、真犯人は息子のカルロを幼いうちから自分の犯罪隠蔽に荷担させているという自覚があります。特にカルロには音楽的才能があるのに、「自分(真犯人)のせいでその才能を開花させられないでいる。」ということに、母親としての苦悩もあったでしょう。
真犯人の「カルロまで・・・。」という言葉から推測するに、自分にカルロの死の責任があると理解しています。彼女は、完全に狂っているのではなく、正常な神経も持ち合わせていて、自らの精神の二重性に苦しんでいたと言えるように思えます。(もっとも、正常な精神の状態で殺人を犯したなら、責任能力があると言えますから、他に正当防衛や緊急避難の事由がない限り罪に問うことができます。つまり、死刑にすることができます。)
これらのことから、私はどうしてもこの真犯人にすこしだけ同情してしまいます。少しだけですが。
以上