本の愛し方の或るかたち。
まずは表紙と本文を切り離すことから始める。
件の本はブラデル(日本語ではくるみ製本)で作られることがほとんどなので、見返しのノドの部分をカットすれば簡単に表紙と本文を分けることができる。
表紙と本文はこの見返し紙だけでつながっているので、構造を知っていれば分解を怖がることはない。ただ、本に刃を入れるというわずかな罪悪感を除けば・・・。
日本で製本を学ぼうとするとき、まずはこのブラデルから始めることになり、やがて沼にはまり、古くからのパッセカルトン(日本語では綴付け製本)に手を染めることになる。
かくいう私もその一人で、製本を始めて年数だけみれば30年になるが、なにぶん周りに教えてくれる場も人もなく、未だに沼の中をもがいている状態が続いている。
最近インスタグラムを始め、海外のブックバインダーの作品を目にする機会を得、今更ながら開眼の面持ちとはこのことで、羨望と妬みの混じった自分の心を疎ましいと思う。
冷静になって自分の気持ちを分解してみると、幼いころの親の態度であったり、学校の教師の態度であったりが思い返される。
どこで自尊心を失ったのか、どこで自信を得たのか、などなど思い当たる節を再認識する。そうすると、羨望やら妬みやらが霧が晴れるようになくなり、自分はこのままでいいのだ、と納得できる。
本を製本し直す行為はそれに似ている。一般的な形をいったん分解し、再構築する。そうすることで、常識という空気に壊された自尊心や自信をわずかづつでも取り返すことができる。
そんなことから、製本を愛し、より本という存在を愛することができているのではないか?と思っている。
現在解体を進めている本は、上橋菜穂子さんの小説「鹿の王」の上・下巻。本を読んでいて、初めてページの進むのが悲しいと思った本である。ずっとこのストーリーの中にいたいと思った。と同時に、これはどうしても再製本したいとも思った。
上巻の解体が済み、背の部分の余分な製本糊を取り除いてから、下巻の解体に進む。
以前は膠を糊として使っていたが、現在は製本糊の進歩が進み、量産に対応している。比較的きれいに糊を取り除くことができた。
件の本はアジロ綴じといって、折丁の折り目に切れ込みを入れ、その中に製本糊が入り込みページを繋ぎ止めている。
これを糸綴じに変えようというのだから、ずいぶん手間なことをするものだ。そうまでして本と関わりたいと思うのは、偏屈な本の愛し方ではないだろうか?