解説 内を清めよ、されば外も清くなる(第一説教集5章2部) #26
原題: A Sermon of Good Works annexed unto Faith. (信仰にともなう善き行いについて)
第5章第2部の解説をします。テーマを聖句で言えばこれでしょう。
まず、杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる。(マタイによる福音書 23章26節)
第2部のポイントは次の5点です。
①第1部の振り返り~第4章とのかかわり
②信仰をもった行いとはどのようなものか
③人間はこの世で神に逆らう法を作った
④とはいえこの世の法を守ることは大切
⑤ただそれを神の律法と等しく見るべからず
第5章は第4章と繋がったものとみることができるということは第1部の解説でお話しました。そのなかでも引用しましたが、第4章第1部にこのような言葉があります。
ここでいう「一つ目」については第4章で、「二つ目」については第5章第1部で、そしてこの第2部で「三つ目」について述べられることになります。
「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか(マタ19・16)」と尋ねられて、キリストは人の世の法ではなく神の律法を守るようにと言われました。これについて第2部ではこう説かれます。
そもそも人間はアダムが禁断の実を取って食べて破戒をして以来、罪の中にあるのですが、それに輪をかけてさまざまな異教の神を崇めて偶像崇拝を行い、また都合のいい法律や伝統を作ってきたことがこれに続いて述べられます。ファリサイ派についてのキリストの言葉が引用されます。
人間が救いに至るには、永遠の命を得るには、神の律法を重んじなければならないということですが、注意すべきは、けっして人間の作った法を軽んじてよいわけではないということです。この世における法には従わなければならない、ただし、それと神の律法を同じく見てはならないということが説かれます。もっとも、これを説かなければかえって体制の維持を脅かすことになります。ここがこの説教での大きなポイントになると思われます。
このあと、これに反するファリサイ派をキリストが否定されたことを、また、そのような欺瞞を人々が信じないようにということを聖書に基づいて説いて第2部は終わります。
今回は第一説教集第5章「信仰にともなう善き行いについて」の第2部「内を清めよ、されば外も清くなる」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。
Twitterもご訪問ください。
高校英語教師が翻訳した説教集(@sermons218tm) / Twitter
高校英語教師が選んだ聖書名言(@bible218tm) / Twitter
翻訳出版を目指す高校英語教師(@tmtm218tm) / Twitter
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?