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続コンプレックス Vol.7
あっという間に年が変わって2006年である。
冒頭に、2005年は私にとって、「良い年」とは言えない年であった。
と書いたが、2006年からは「やるぞ~!」という気合に満ちていた。
私が最初の面接に行ったのが12月2日、
社長面接が12月16日、
そして、年明け1月4日付の採用であった。
ギリギリのタイミングで応募して、滑り込みセーフ!
っていう感じだったようだ。
開業準備室はヒューマンの事務所の一部を間借りしている形であった。
早速O坪さんと色々打合せをすると、やらなけらばならない事が山積みであった。
採用してもらって何であるが、採用する時期を誤っている!
ハッキリそう思った。
現場の責任者である人間の魂や、オペレーションに対する考え方を
尊重していないから、こういうギリギリの採用の仕方をするのだ。
まあ、最初から鼻息を荒げても仕方が無い。
ボチボチ行こうぜ!と、自分に言い聞かせる。
先ず、なんとしても急がないとならないのはスタッフの採用である。
採用したら採用したで、今度は教育である。
勿論オペレーションのスタイルや、FF&E購入計画、予算の考え方、
などありとあらゆることが気になっていたが、
その全てのことを
「よろしく!」という短いフレーズで片付けられた(笑)。
「ホテレス」「リクナビ」「求人情報」などの媒体を使い、募集をかけた。
月に1回瀬の本の現場事務所へ行って、進捗状況と今後の予定を確認する
会議があった。
その時初めて現場へ行った。
阿蘇の雄大な景色も、その時初めて見たわけである。
「お~すげ~!これって日本じゃ無いみたい!」って思った。
最初に行った時、12棟の離れの内 形になっていたのが2~3棟だったように
記憶している。
形になっていたと言っても、柱が立って屋根があがっている程度である。
本館も屋根はついていたが、中は全くまだまだの状況・・・
当初、4月末のオープンとか聞いていたが、
こりゃ、絶対に間に合わない!と確信した。
エ○ジのS藤一郎さんとも、この会議で初めて会った。
変わった風貌のおっさんであった。
競馬場やボートレース場で、くわえタバコで新聞見ている方が
似合いそうな感じの人だった。
東京へも頻繁に行った。
N村氏との打合せや、リネンの決め込み、そして客室に置く小物など
何も決まっていなかったが、
下手にクリエーターが絡んでいるので、
彼らのプレゼンを聞いたり、ややこしい。
そして、そんなことを繰り返してくるうちに
このN村氏って、素人だ!っていうことが分かった。
確かに居酒屋、蕎麦屋、バーなどを経営しているんだろう。
しかし、それらの知識だけで宿泊がからんだホテルや旅館のオペレーションを
論ずることなど出来るわけが無い。
「私はホテルが嫌いだ!」
なんて偉そうなことを言っていたが、
嫌いも何も、な~んも知らないのに 「よく言うよ!」って思った。
N村氏のお友だちである「コンラン」だか「混乱」だか知らないが、
G藤氏の会社 デザイン・インデックスが客室の小物関係などを
総合的にコーディネートしていたが、
先のN井さんのメールにあったように、この会社もイカサマだった。
提案内容が余りにも陳腐であり、
そんな程度ならば、私のネットワークで作らせた方が、
余ほど上品で、コストも低く、素晴らしいものが出来る!
間違い無く出来る! そう思った。
何故なら私は、そうやって過去に何度もホテルを開業させてきた。
私が魂を込めてセレクトしたものを、そのまま受け継いで使っている
ホテルが、この世にちゃんと存在しているのである。
実際、あまりにも提案内容が陳腐だったので、
私はO坪さんに言って、
客室のステーショナリー入れの箱、メモパッド、レジストレーションカードホルダー、
カードシグネーチャーホルダー、などをHSGにオーダーし、海外で制作してもらった。
あの界ASOのロゴの入った黒い皮のバインダー類である。
N村氏は出来上がった皮製品を見て
「素晴らしいじゃないですか!これ、どこに頼んだですか?」だって・・・
「バ~カ、オメーとはレベルが違うんだよ!」
って言ってやろうと思ったが、それでは角が立つので
「ありがとうございます。こういう物が必要な場合には、いつでも紹介しますので、言って下さい!」
と言っておいた。中々大人になったものである。
****
当初4月末にオープンを予定していたが、工事の遅れはいかんともしがたく、結局6月14日のオープンということになった。
2006年の冬は、例年に無い大雪で、その為に基礎が打てなかったり、
またコンクリートの乾きが遅れたり、工事の進捗は最悪だったのである。
しかし、このオープンの遅れは私にとってはホッとさせられるものでも
あった。
スタッフの採用、教育など そんなに簡単にいくものでは無い。
それでも4月採用で15名ほど集めることが出来た。
キーとなるスタッフである
料理長、料飲の責任者、宿泊の責任者、SPAスタッフを
確保出来たことは、本当にラッキーであった。
採用の仕事をしていると人間不信になってくる。
面接の日に来ないなんてのはいい方で、
採用の通知を送ったのに音沙汰が無く、
突然手紙で「採用を取り消してください!」と言ってきたり、
もう寮に入る日が迫っているので、鍵を郵送したのに引っ越した気配が無い。
どうしたのか?と、携帯に電話しても出ない。
或る日、鍵が返送されてきて「すいません」としか書いてなかった。
遠方から面接に来る関係で、こちらも福岡まで出向き面接し、
先方の都合で採用時期をオープン後に決め、待っていたところ
「親に泣きつかれた・・・」という理由で断ってきた人もいた。
30代にもなって、親に泣きつかれたも無いだろう・・・
そこまで酷くなくても、皆ある面人生を掛けているのに違いは無く
色んなことを聞いてくる。
引っ越しの細々したことがほとんどである。
私は山のような仕事を抱えながら、なんでこんなことまで私がやらなくては
ならないんだ・・・
と思ったが、どう考えてもその仕事を振る人間などおらず、
結局、私がやらなくてはならない…と諦めるしかなかった。
***
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