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日本の黒い霧① 松本清張著

下山事件(しもやまじけん)は、日本が連合国軍の占領下にあった1949年(昭和24年)7月5日朝、国鉄総裁・下山定則が出勤途中に失踪、翌7月6日未明に轢死体で発見された事件。

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作家の松本清張が、この作品を書いたのが1960年。
下山事件は、1949年と相当昔の話である。

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【本文より】
GHQが日本の鉄道を独立採算制の大義名分のもとに公共事業体として発足させ、定員法を作って人員の大量馘首を説くには、どうしても当時のGH Qの内部事情に触れる必要があり。
ところで、戦後、日本の変遷に独裁的な権力をふるったGHQの歴史といったものは、未だ書かれていない。
講和発行後、十年近くになっても未だにGHQの歴史といったような正規な文書が公刊されていないのである。
日本占領軍総司令部であるGHQ内部では、マッカーサーを中心にしたG2(参謀部第二部・作戦部)とGS(民政局)とが激しい勢力争いをしていたことは今日の常識となっているが、一般にはそれ以上の詳しいことは分かっていない。
「アメリカのスパイ謀略機関」(GHQの内部抗争について一部書かれた書籍)には、
アメリカ軍は日本占領と同時に全国に隈なく諜報機関を網の目のように張りめぐらした。GHQにはG2が日本占領軍の日本占領軍の諜報部隊の最高責任機関として設置されて、第八軍司令部にはそのG2が、各師団その他軍団の司令部にはそれぞれG2が置かれた。
CIC(軍諜報部隊)は、日本占領軍の軍管区分に従って北海道(札幌)、東北(仙台)、関東甲信越(東京)、東海(名古屋)、近畿(大阪)、中国(岡山)、九州(福岡)にそれぞれ地方本部を、各都道府県に地区本部を、主要都市及びその他の重要地帯に駐留部隊を置いた。
GHQのG2の長はウイロビー少将、各地方本部のCIC隊長は大佐または中佐クラスの諜報将校を置き、大きい府県で二、三百名の将校、下士官及び軍属、それに五、六十名の日本人労務者が働いていた。
G2、CICのグループが行なったことは単なるスパイだけではなかった。
GHQのG2は日本占領政策の決定とその実施に極めて重要な参加を行った。
日本占領に重要な役割を果たしたGHQの内部機関はGSであったが、G2はこれと並んで主要な役割を行った。
G2とGSは極めて仲が悪かった。GSの長であるホイットニー代将とウイロビーはマッカーサーの前でいつも激論を繰り返していた。

***

【ササピー】
下山国鉄総裁は、GHQが上手く操ることが出来ると思って任命したにも関わらず、意外に頑固で言うことを聞かなかった。
彼に託された任務の最重要課題は、膨れ上がった国鉄職員を大幅に減員することだったのだが、暗礁に乗り上げていた。
そこでGHQが動いた、、、
というのが誰もが想定する考えでは無いだろうか?
未だに犯人は捕まっていない、、
闇は深い、、、

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