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忘備録⑥ 正義とは悪とは① ~なぜ戦争はなくならないのか?

―――どんな人に対しても、死を望む権利はないのです


まずは下記ツイキャスをご覧いただきたい。

Q.プーチンは地獄に落ちますか?戦争を始めた人なのに生きているのは何故ですか?
(25:55~より回答を述べられています)

こちらに対するエマさんの回答は非常に考えさせられるものであった。

この話は「プーチン氏」という
非常にわかりやすい人の、非常にわかりやすい例だから、
「何で生きているんだろう」「消えてほしい」という意見も出るだろう。

また、プーチン氏が日本に住んでいる自分とは遠い存在だから、
「自分には関係ないしそこまでは思わない」「死ねと思うなんて、それこそエゴだ」という意見も出ると思う。

私はこの問答を聞いて今更ながらふと思ったことがある。

何故戦争が終わらないのか。
今回のプーチン氏の例についても、
「(自分が手を汚したくはないけど)あいつが死んでくれればいいのに」
こう思っている人は多数いると思う。

しかしその人たちと同じくらいの数の人がきっと
「(たとえ自分が死んだとしても)あいつが死んでくれればいいのに」と思っているのだろう。

だから戦争は終わらないのかもしれない。

きっと、戦争に行く人たちは、普通の良い働き人や家族だから。
そして「子供たちには戦争のない世界を」と思いながら、
元凶とされている人を倒して戦争を終わらせる、そのために戦争に行く。

しかしその人が生きて帰ってこなかった場合、
今度は子供が「親の敵討ちのため」戦争に行く。

つまりただ単に双方が「自分たちこそが正義だ」と思っているからだけではない。
誰かを思う尊い心や感情が結果的に戦争を続けさせてしまっているのだ。
そしてここに戦争の終わらない悲しさがあると思う。

ではどうすればいい?

これは本当に難しいことだが、
結局どこかで「断ち切る」しかないのだと思う。
「断ち切る」とは「相手を赦す」もしくは
「(自分の感情はどう思おうと)区切りを決めて、
そこで終わりにすると決める」こと。
そしてその本質は戦争当事者たちだけでない、
この世界に生きる人間一人一人が実はそれを問われている。

再びツイキャスの質問に話を戻そう。

まず前提として「どんな人に対しても死を望む権利はない」
これは真理として絶対的に正しい。

しかしながら考えてほしい。
他人に対して「消えてくれ」と思ったことは一度もない、と言い切れる人はどれくらいいるだろうか?
さらに、「もし被害者が自分の家族であった場合、果たして加害者に対して死を望まずにいられるか?」となるとそのハードルは大幅に上がると思う。

そう、この質問に対する答えは単なる
「プーチン氏という独裁者に対するわかりやすい一つの例」だけではなく、

「どんな人にも死を望む権利はない」


この原則を、いついかなる時も、
ただ形式的に守るだけでなく、
すべて飲みこんで心から納得したうえで実行できますか?
ということを含んだうえでの「答え」
であるのだと私は思う。

「あいつは悪だ」「憎い」「許せない」
感情が反応するときはどんなときでもある。
そして感情が強ければ強いほど、
正しい選択、正しい思考、正しい判断をするのは難しくなる。
そしてそこに至るまでの選択は、実は常日頃から問われている。

だからこそ、
「どんな人に対しても死を望む権利はない」
この大原則は絶対的に覚えておきたいし、視座を高く持っていたい。
目に見えていることだけが真実か、
今心にあるひとつの感情だけに囚われずにいられるか、
何があっても腐ることなくまっすぐな自分で居られるか。

人生はその選択、努力、見直しの繰り返し。
そしてその選択の純度を上げていけば人は変わってゆくし、
だれもがそうなっていけば世界も変わってゆくのだと思う。

平常時だけでなく、常に中庸を保ち視座を高く生きることができるか。
今回の動画はそういう意味で改めて自分の生き方、ものの見方を見直す
ひとつの転換点となった。
こんな文書書いておきながら、自分もこの原則を完璧に守れるか?
という自信はないのだけれど
その道に向かうための行動と努力をしてゆきたい。
そういう意味では質問者様に非常に感謝している。

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スピリチュアル的にみる死刑制度の是非

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