言うまでもないことを言う為の言い訳

言うまでもないことを言う為の言い訳

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話を続ける

話を続けるとは、賭けるふたりが交互にチップを置くように、互いの前提を差し込みあうことだ。「言うべきこと」と「言うまでもないこと」は、自分と相手の着くテーブルが「同じ」であるという、最初の言うまでもない前提のうえで分節される。それは言われないと思われているのではなく、たんに言われると思われていない。「ここでこれを言ったらどうなるんだろう」みたいな自意識が無意味なのは、それを言うべきことだと思ってしまっているからだ。 事情は書かれたものでも同じだ。あることを書くこと、それは自動

    • 普通はやる気出す

      やる気がない。正確にはやる気を出す気にならない。やるべきことをやることと、これをやるべきだと思い込むことが一体になって、そのうち後者こそが「やるべきこと」になっていくのが怖い。やる気に囲い込まれたくない。走り出したくない。

      • 言うべきことと言うまでもないこと

        去年の今ごろから今年の7月ごろまで日記を書いていた。ある人の真似をして、wordpressというサービスで自分のホームページを作り、そこにほぼ毎日投稿していた。やめたのは、何かを見て「これはこう書けそうだ」みたいに思って頭の中で書いたものを、家に持って帰って改めて書くみたいなサイクルになりかけてしんどかったからだ。書いても書かなくてもよいことを書きたかったし、そうできていた時期もあったが、しだいに「こう書いてやろう」みたいな下心がせり出してきて、気の利いたとまでは言わなくても

        • 今住んでいるところ

          今住んでいるのは大学の最寄り駅のすぐ裏で、近ければ近いほどいいだろうとあまり考えずに決めた。マンションの表の通りは商店街で、東に行けば日本最大の繁華街が、西に行けば散歩に適した静かな高級住宅街が、北に行けば大学が、南に行けばスーパーと飲食店のある街がある。分岐は家のすぐ前で始まっていて、それぞれの場所にはほぼ一本道で行けるので、通りに出て数歩進むと自動的にどこに行ってなにをするかが決まる。ゲームの分かりやすいマップみたいに、頭の中の選択肢がそのまま四つの道として具現化している

        話を続ける

          帰省終わり

          どうにでもなれと思っていた。でもやっぱりどうにでもなれと思うことと、実際にどうなってもいいことは別だった。 友人と別れてバスを待つまでの二時間余りを、京都駅のポルタをうろうろするだけで潰した。今ではこんなこともできる、最近になってこういう手持ち無沙汰な時間と対等な関係を結ぶことができるようになった。老舗の洋食屋の前に戦闘機の翼みたいな形のベンチがある。そこに座って本を読んだ。結局ここで過ごした時間はなんだったのか。逃げ場のない真っ直ぐな道で、一列にやってくる人達が僕の服や靴

          帰省終わり

          「天気の子」のいまさら感想

          序盤の雨の役割が面白い。涙、汗、雨が判別不可能になることで風景と人物の感情という二つのレベルが即物的に一致している。新海の作風である「風景による感情描写」の「による」を消してベタっと均したようだった。 全体的に、天気の巫女の話がウソで、陽菜が晴れを呼ぶのも単にたまたまだという余地をわざと残しているように思えた。というかそういう「たまたま」でナラティブを駆動する、ゼロ度のご都合主義みたいなのが、拳銃をあまりに唐突に拾うシーンからずっと流れ続けているように見えた。それでも信じ続

          「天気の子」のいまさら感想

          ペルソナ5Rの妄想設定&シナリオ覚書

          欲望とは認知によって世界の在り方を自分の思い通りに変える力。現実世界は様々な欲望が拮抗することで安定を保っているに過ぎない。つまりは現実こそが大衆のパレス。 怪盗団は特定個人の欲望が肥大し、現実が崩壊する事態を防ぐため、モルガナに悪人を改心「させられ」ていたことが中盤で判明。しかし怪盗団メンバーは予想外に力をつけ過ぎ、世界の改変能力を手に入れかけたことでモルガナのターゲットになる。 同タイミングでメメントス最深部へ。改心させた人物が進んで牢獄に囚われ、生気をなくしているの

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