言うべきことと言うまでもないこと

去年の今ごろから今年の7月ごろまで日記を書いていた。ある人の真似をして、wordpressというサービスで自分のホームページを作り、そこにほぼ毎日投稿していた。やめたのは、何かを見て「これはこう書けそうだ」みたいに思って頭の中で書いたものを、家に持って帰って改めて書くみたいなサイクルになりかけてしんどかったからだ。書いても書かなくてもよいことを書きたかったし、そうできていた時期もあったが、しだいに「こう書いてやろう」みたいな下心がせり出してきて、気の利いたとまでは言わなくても何かまとまったものを書こうとしてしまう。

何かを「こう書いてやろう」と思わずに書くことはそもそも可能なんだろうか。何かを思った瞬間にその全体をそのまま書けば、それはただ思ったことを書くだけの文だろう。しかし「思った瞬間」なんてものは特定できないだろうし、その瞬間のことを全部書いたら「いまこの文章を書いているということを書いている」…みたいにぜんぜん何も始まらないし終わらない文章になる。

書きながら思い出してきた。あの頃は、書くまでもないし感じるまでもないことをいちいち引っ掛けるフックみたいなのが体にくっついていたと思う。バイト先で、出掛けた先で、当たり屋みたいにそういうのを集めて書く。そういう陰湿な喜び自体は悪くないと思う。ただそうすることが「やるべきこと」になってしまうと、単に書かれたものとしてすごく狭いものになると思う。

さっき文芸誌をめくって、小説を何個か流し読みした。ちゃんと呼んだわけではないが、それでもだいたいの小説が「言うまでもないことをつらつらと連ねること」でできていると思う。その言い訳として「身体」が特集されている。でもそれはたんに小さくまとまっているだけじゃないだろうか。何か言うべきことがあって、みんながそれを目指して緊張している場がイヤで、言うまでもないことを言うみたいな気持ちならわかる。必要なのは、言うまでもないことに引きこもるのではなく、言うまでもないことと言うべきことの関係を逆転させるような文章だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?