帰省終わり

どうにでもなれと思っていた。でもやっぱりどうにでもなれと思うことと、実際にどうなってもいいことは別だった。

友人と別れてバスを待つまでの二時間余りを、京都駅のポルタをうろうろするだけで潰した。今ではこんなこともできる、最近になってこういう手持ち無沙汰な時間と対等な関係を結ぶことができるようになった。老舗の洋食屋の前に戦闘機の翼みたいな形のベンチがある。そこに座って本を読んだ。結局ここで過ごした時間はなんだったのか。逃げ場のない真っ直ぐな道で、一列にやってくる人達が僕の服や靴をじろじろ見る。いや、僕が束ねているだけで、彼らはそれぞれにそうしているだけだ。わざとそう思わなくても街をぶらぶらできるようになったのは、つい最近のことのように思える。

つまり世界と自分との間での能動性と受動性の割り振り。どうにでもなれと思って濡れたシャツでそのまま大学に行ったり、最前列で小説を読んだりする。かと思えば書店の入ったおしゃれなビルに入れず、腹を空かせても振る舞い方のわからない、知らない飲食店には行かなかった。世界から自分を差し引いたまま、何か返って来いとちらちら目配せをしていた。

運転手がブレーキを踏む。特有のイントネーションで何か話す。「今日は高速を走ろうが下道を走ろうが混んでます」(…)気分が悪くなり、できるだけ体を水平に近づけようとした。またブレーキで体が動く。けっきょく背凭れを使うのが一番いい。目的地まで一時間、サービスエリアで降りて体を伸ばした。体調は良くならないし、西日を照り返してくる海を直視する元気もなかった。席に戻った。また不機嫌そうな声が聞こえ、運転手が頷きながら元気に答えていた。がんばってくれ。

地元にいる。塾が夜9時に終わって、堤防の上を自転車で走る。右手は林が川を隠していて、左手に沈んだ街は真っ暗な底なし沼みたいだった。橋の灯りが見えたらそれを目指して走る。死のことが頭をよぎると一瞬で膨らみ、僕はハンドルを叩きながら叫び声を上げる。吐くときみたいに喉がひりひりする声を二、三回上げたら、疲れてそのまま駅に着く。母親の車が待っている。車の中でまた死が膨らんできて、ドアを叩く。母も落ち着かずに窓を開けたり閉めたり、きゅうに歌い出したりする。

真っ暗な国道沿い、巨大なスーパーやドラッグストアがぽつぽつと灯っている。それぞれが別の惑星みたいだ。子供の頃は宇宙飛行士になりたかった。夜になると暗い地上がそのまま暗い宇宙に続いているようで、いちばん高いビルの屋上から飛べばゆらゆらと遊泳できると思っていた。

祖父はゾンビみたいになっていた。数え上げられるくらいの髪の毛が頭皮に植わっていて、目は虚ろで、手足はただ胴体から突き出している。僕達は立ったままで順番に挨拶する。返事はない。ちょっと面白がって、マスクを取って見つめてみた。笑顔の母が耳元で、自分のことはわかるか訊くと、小さな声でわかると言った。入る時と同じように病室を出て、祖父の視界を想像した。呆然と寝そべる自分を見下ろす四つの影は、なんというか、神様みたいに見えたんじゃないだろうか?

父が話し始めた。父はいつも動物が首をもたげるようにして話し始める。途端に標準語の、ベリリっとページをめくるような話し方が懐かしくなる。こっちを出る時間が決まってるなら教えてくれ。来年も今年と同じように支援をしてやる、と言われたのに対して、来年からはこっちでどうにかしようと思ってる、と答えた。驚かれて、しかも母親が来年どうするか話しなさい、と言ってきた。修論が書けそうになく、修士を三年やろうと思っていることを母は父に話しているものだと思っていた。父はしばらく黙って、それは困ったことになったな、と天井を見上げる。

どうして書けないのか。大きなことをやろうと思い過ぎて、具体的に何をするかという所まで至らなかった。生活はできるだけ縮小して、バイトと奨学金でどうにかしようと思っている。早口にならないように心懸けても、どんどんお腹の辺りが重くなってくる。重たい屁が出る。あと一年と博士の二年、それが限界だと言われた。自分一人でどうにかするつもりだったので、すぐには飲み込めなかった。色んな感情が襲ってくる。これからは言い訳がきかない。どうにでもなれと思っていたけど、やっぱり自分独りの問題じゃない以上、そんなのは通らないんだろうか。それを拠り所にしていた甘さとか、面倒臭がって考えなかったことに向き合わされた。





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