「日蓮は仏教を歪めた」のか?

●イントロ
SNSで、それなりにフォロワーを抱えて影響力ある人の中に、「日蓮は仏教を歪めた」と主張している人がいる。

その文脈で、創価学会が広義の日蓮宗系宗教団体にルーツを持つこと、そして日蓮宗系の各宗派が伝統的に他門流を厳しく批判して来た、その戦闘的な信仰態度に言及している。
恐らく、これらを「歪めた」根拠として見ているのであろう。

前者について言うなら、創価学会の直接の思想的母胎であった日蓮正宗は、数ある日蓮系宗派の中でも異色の教義を有する宗派である。

元を辿れば、宗祖亡き後、他の直弟子達とは袂を分かち、宗祖の祖廟がある本山を去って独立した一門流が、更なる独立・分派を繰り返し、長い時間をかけて変質した宗教的組織である。

その日蓮正宗が初期の創価学会の思想に大きな影響を与えたとしても、創価学会が今日までに国内外にしてきた行状の一切の責任を、日蓮系門流の開祖である日蓮上人に求めるのは、あまりに短絡的であり、誠実な態度とは言い得ない。何より無知である。

後者については、日蓮系の各宗派は、積極的に他宗派批判を行ってきた歴史的事実があり、またその戦闘的な姿勢は確かに開祖の日蓮上人にも求め得るものでもある。

しかしそれは、「仏教を歪めた」上の振る舞いだったのであろうか。
また、その他宗批判は、「仏教を歪める」原因となるものであっただろうか。

前者の問題-創価学会と日蓮正宗の問題に関しては、このnoteでも既に述べてきたことと重複するので、あえて繰り返すことはせず、ここでは後者の問題について、詳しく取り上げてみたい。

●本題
戦闘的、攻撃的なイメージが強い、伝統的な日蓮門流の他宗批判について。

日蓮系宗派による他宗派批判の実態がどのようなものであったか?
どのようなことを問題にして、どのような言葉でもって他宗派を批判していたのか?
それらを具に窺い知ることが出来る資料がある。

今谷明氏の著作『天文法華の乱 武装する町衆』(1989年 平凡社刊※)がそれである。

(※この本は、2024年の10月に文庫の新装改訂本が他社から刊行された模様。そちらの方は未読)

書名通り、京都を戦火に包んだ歴史的大事件「天文法華の乱」の顛末を詳説したもので、騒動の直接的契機となった「松本問答」のやりとりが、今谷氏の意訳も交えながら、この本の中で再現されている。

「問答」とは、宗教の教義や宗義を巡る論争を意味し、ここでは、比叡山延暦寺(山門)系の学僧(華王房)と、法華宗の一信徒(松本久吉)の間で起きた争議を指す。

「現世の釈迦」とまで言われて尊崇を集めていた山門の僧侶が、「俗人」に過ぎない筈の一信徒に論破されるという、山門側から見れば、前代未聞で、あまりにも屈辱的な事件である。

今谷氏も断りを入れている通り、テキストにした問答の記録者は、法華宗寄りの人物なので、両者のやりとりが公平、客観的に記されている保証は無い。

例えば、

p194
華王房「何と申されようと弥陀の名は有難いのじゃ。法然の教えは貴い。」

この台詞自体は、言わば自棄になった末の捨て台詞のようなので、相手の醜態ぶり、迷走ぶりをいささか誇張して書いたような節も感じられる。

ただ、そうした記録者の意図を勘案しても、というより勘案すればこそ、これに対する松本久吉側の返答は重要であると考える。ここには、一連の問答における法華宗側の主要な主張が端的にまとめられており、記録者はこの主張を導き出す為に、問答の成り行きを綴っていったとも言い得るからである。

ある意味ここには、法華宗(日蓮宗)側の他宗批判の要旨がまとめられているように思われる。

同p194
久吉「何ということを。貴僧は山門の怨敵ですぞ。法然は天台仏心・真言・三論等みな群賊であると申し、選択集にも書いております。伝教大師一念三千の戒壇を誹謗したので、三世の諸仏の敵であると山門の大衆一山こぞって、「三世の諸仏への報謝である」と称して大講堂の場で選択集を焼き捨てたのであります。また法然の死体を加茂川に流せしは世にかくれもないこと。貴僧はその比叡山に住みながら法然を貴ぶとはいかなる訳でござるか。問答に負かされまいとして抜け句を言うと見えましたぞ。さあ返答されませい。それとも閉口されますか。」

……天台を含む諸宗派を、「群賊」であると断じた法然は、山門、即ちあなたが所属している比叡山延暦寺の怨敵ではないか、その法然を貴ぶとは何事か?

そう、言い放つ松本久吉に仮託された法華宗側の言い分。つまり、日蓮系各宗派の他門流批判の本質は、当時の山門批判にある。

日本天台宗の教義や存在を、根底から否定したのではなく、寧ろ当時の延暦寺一門が、開祖伝教大師以来の伝統から逸脱していたことを「否」とすることこそがその本質であると言える。

かつて山門に学びながら袂を分かって、その教義を根底から否定した法然上人。また、根本的に山門の伝統的教義とは教えを異にする真言宗の開祖空海上人。久吉も、山門がこぞって彼らの教えに傾倒していることを問題視していた。

p184
久吉「貴僧の所属される延暦寺、比叡山は、三ツの峯から自然に成り、伝教大師が唐土の天台山を移して戒壇を立てられ、一念三千世界を現して三千坊を置き給うた所であります。然るに貴僧が真言の法を弘められるるは、果たして祖師伝教の御本意に叶うことでしょうかの。伝教の御本意に背いても一派の法は有り得るものでしょうか。華王房どの、如何ですかな。」

……仏陀-天台大師智顗-伝教大師最澄の系譜。
無数にある経典の中から、「法華経」に仏陀の真意を見出し、「法華経」を中心にして仏教を体系づけた天台大師、そしてその教学を国内に根付かせて継承した伝教大師こそが仏陀の正統な後継者であり、この法灯の中にこそ仏陀の心は生きている、という主張。

p187
「法華経は諸教中の王、最も優れて第一なりと釈尊が極め給うたのに、」
「空海は第一を第三と下し、あるいは法華経を戯論なりとそしり、法然は捨閉閣抛と言い、難行なりと誹謗するが、その咎がどういう罪になるか、」

何故、法華経こそが仏陀の真意と言い得るのか?法華経の内容もさることながら、仏陀御自身が明言されているのもその重大な根拠の一つ。これに対して、法然、空海両上人は、独自の判断で法華経を退けている。しかも法然上人に至っては、「捨閉閣抛」……「念仏以外の修業を捨てよ、投げ打て」とまで言う。

真言密教や念仏は、日蓮上人当時から驚異的な浸透力を持って国内に拡がり始めていた。しかもそれらの教えは、単に伝統的な天台教学と思想を異にするだけではなく、天台を根底から否定する傾向を内側に孕んでいた。

日蓮上人も、その門弟も、天台・伝教大師によって再発見され、守り紡がれて来た仏陀の「真意」を真っ向から否定し、それでいて、圧倒的な浸透力を持つ、この異質の教えに危機感を募らせていたのである。その影響力は、上記で見た通り、叡山の高僧までも魅了する程大きなものであった。

さて、この問答で屈辱的な敗北を喫した山門側は、法華宗一派にますますの憎悪を募らせ、彼らに報復するべく、時の権力者を利用した実力行使に打って出たようである。
まずは、当時「法華宗」と自称していた日蓮門下の宗号の使用を禁止させるように将軍に訴え出る。「法華」の名を冠した宗号は、伝教大師開山の比叡山延暦寺一門にこそ独占権があり、我らの許可無しにその名を用いることは相成らん、という理屈である。

これに対して法華宗側は、何より後醍醐天皇より綸旨を賜り、許可を得てること、そもそも、伝教大師の教えに背いて、今や真言・念仏雑乱の山と化した山門にそのようなことを言われる筋合いはない。今の比叡山一門に「法華宗」の名号を独占する資格は無いと退けている。

このことからも、日蓮(法華宗)系宗派の伝統的な他宗批判の本質が、山門批判にあることが確認出来るはずである。

●結論
ここで、「日蓮上人は仏教を歪めたのか?」という当初の問題に立ち返ってみたい。

日蓮上人や門下の攻撃の対象となっていたのは、法然上人や空海上人であり、また、当時の比叡山一門である。つまり、あくまで「人師」を批判したのであり、浄土三部経や大日経のような経典そのものを「捨閉閣抛」、捨てよ、投げ打て、と言ったのではない。

寧ろ、「捨てよ、投げ打て」という言葉を、仏意に背くものとして問題視していることに留意が必要である。

当時、例えば大学のような学術、研究機関が無い時代で、経典や貴重資料を保管出来る場所は極めて限られている。

言わば、「仏教センター」とも言うべき存在だった比叡山で、「念仏以外の教えを捨てよ、投げ打て」の運動が勃興したら、何が起こるか。

今回は、十分に言及出来る余裕が無くなってしまったが、法華経は原始仏教経典……歴史上実在した仏陀の「肉声」に近い教えと考えられている経典と、太い連絡路を持った経典である。

勿論日蓮上人は、原始経典を法華経以外の経典だからという理由で、捨てよ、投げ打て、などと言うことは無い。

だが、当時の浄土系の人達は、念仏以外の修行や教えを、捨てよ、投げ打て、と言っていたのである。

法然上人や空海上人、当時の山門一派に辛辣な批判を展開していた日蓮上人の義憤には、その前提として、人師の側の法華否定、天台教学否定に理由があった。

そして、密教や念仏の浸透力は、山門の中枢にまで及び、伝統的な天台教学が淘汰される恐れもあった。

これに付言すれば、最悪の場合、諸経典を含めた、歴史上仏陀の事績を偲ぶための一切が忘却の海に置き去りにされる恐れもあった。

その上で尚「日蓮は仏教を歪めた」と、言う人達は、「法然や空海は仏教を歪めた」とは言わないのであろうか。

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