MSW5年目の思い出(「辞めます‼」「おめでとう♡」)

ようやく師匠のもとで、ソーシャルワークを集中して学ぶ日々を得た。

毎日が充実していた。

しかし、師匠から「民間病院より公的病院の方が良い」
と頻度高く言われるようになった。

当時、国立病院が行政法人へと移行する時期。
公的機関の外郭団体系の医療機関も、民間法人への売却が検討されていた。

同じ公務員なら、病院採用よりも行政職採用が良いと考えた。

師匠に、「行政職(地方上級)に受かったら辞めます」と伝えた。
師匠は「いいよ」と言ってくれた。

とりあえず、地方上級の試験勉強を始めた。
あまりの範囲の広さに驚いた。

頑張っても数年かかると感じた。

イメージを明確にするために、
市町村の公務員試験を片っ端から受験した。

たくさん落ちた。

そのころ、他県の県職員募集で、初めて「福祉経験者募集」があると、
県の社会福祉士会の理事から連絡がきた。

自然豊かで風光明媚、そして、財政基盤がしっかりしているという県であった。

採用担当に連絡すると、「県内の保健所、児童相談所、関連施設、稀に病院に異動がある」と言われた。

最初の筆記試験は、旅行と兼ねて受験した。

20人くらいしか受験者がおらず、「『経験者募集』というところが効いている」と思った。

2次試験は、小論文であった。
総合討論は、受験者が少ない関係で「なし」と言われた。

3次~5次まで、面接試験が続いた。
「なぜ、県外から受験をするのか?」
「親は置いてきても大丈夫なのか?」
「長男なのか?」という質問が何度か続いた。

新幹線や宿泊費の負担が大変で、「落とすなら、早く落としてくれ」と祈った。

12月に、内定の通知が来た。

師匠や同僚、家族に相談した。

安定性、給与面、アウトドアのメッカ、余裕のある引継ぎ期間。
断る理由がなかった。

送別会は30回くらいしてもらった。
事務長からは、銀行の幹部しか使えない料亭に連れて行ってもらった。
数人からは、「師匠の下でもっと学ぶべき」と言われた。

病院の経営者に呼ばれた。

「辞めて公務員になります」と伝えた。
経営者は私の手を取り「おめでとう♡」と言った。

混乱した。

「あなたは一族でも、次の理事長の友達でもない。どうしようかと思っていた」と言われた。

今なら分かる。
病院では、医師、看護師以外は、頑張りすぎてはならない。
特に事務は最下層。

MSWは事務である。
違うが、医療者から見れば「ジム」である。

専門職としての実績はある程度容認されるかもしれない。
しかし、病院経営に大きく貢献してはならない。

医師や看護師が太陽であり、黒子であらねばならない。
輝いてはならない。

経営会議では、何度も私のリストラ案が出たと思う。
それを師匠が守ってくれていた。

ただ、いつまでも守れるかは分からなかった。
だから、「早く次を探すように」と言ってくれていたのだ。

病院を辞める少し前、
師匠が「私が好きな人は、みんな偉くならない」と言っていた。
私が「私のことは好きですか?」と聞いた。

「大好き」と答えてくれた。




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