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「あおいとり」 メーテルリンク/作 いわさき ちひろ/絵 立原えりか/文

 幸せは自分の手の中にあるものに気づくこと、の結論で有名なメーテルリンクの「青い鳥」。しかし昨今のあおいとりと言えばメーテルリンクではなくてTwitterの鳥なのだなあ、と鳥の画像を検索していて思った。確かに絵本の「あおいとり」を読んだことがない人は多いかもしれないが、インターネット接続環境を持っていて、あの青い鳥と無関係でいられた人は少なかっただろう。
 瞬間の集積、という意味であれば何だか似ているけれどあの鳥と幸福な局面でだけ付き合うにはなかなか理性が必要な気がするし、最近リタイアしたあの鳥はメーテルリンクの言う幸せを代表するには資本主義の香りが強すぎる。

 それはさておき。
 様々な形態で出版されている「青い鳥」だが、いわさきちひろの絵本で読むといっそう味わい深い、と個人的には思う。じわりとぼかされた水彩で描かれる物語の世界は、どちらかといえば情報量が少なく、瞬きをした瞬間を切り取ったようだ。
 まるで人生の中で奇妙に鮮明に印象に残った瞬間を描いたように。

 読み返すまでよく覚えていなかったのだが、物語の中で青い鳥を探す旅に出るチルチルとミチルは二人きりではない。飼い猫と飼い犬、光や火、パンや砂糖の精と旅に出る。いわさきちひろの描く動物や精霊たちはとてもかわいらしい。これぞ絵本の世界! という風情である。

 それとは裏腹に、ものがたりは中々にシビアだ。
 他人からもらった青い鳥はすぐに死に絶え、幸福の国に永遠にいられるわけでもない。ねこはいじわるされた仕返しをしてくるし、結局青い鳥を捕まえられずに二人は日常に帰る。
 ところが日常に帰ると、枕もとの鳥かごに、青い鳥が入っているのである。
「私たちあおいとりをちゃんともっていたのよ」
 とミチルは言う。けれどその鳥をチルチルが捕まえようとするとやはり鳥は逃げて行ってしまう。
 がっかりするチルチルにミチルが言う。
「きっとかえってくるわ。わたしたちのあおいとりですもの」

 最後のページを閉じるときに、まだ働き始めた頃、将来への不安と自分の能力への自信のなさに満ち溢れていた時に、人の物差しで自分を測るな、と職場の先輩に言われたことを思い出した。
 結局幸せは自分が自分として生きた先にしかないのだろう。
 幸せは結果ではなく過程で、手にしたと思ったらそれは最早幸せではないのかもしれない。

 そんなことを思った。

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