17時30分頃、 道で・・
もっとぴったりなイメージの写真があったのですが、嫌なのであえて選ばないようにしました。不必要な白いモヤから始まり、暗いというか黒い景色でした。私にとって明示されているのは、この世界とは何かが異なっていること、でした。証明はできませんし、私には怪談を描ける文筆家の素養もありません。私自身扱いに困る分野だと、予めお伝えしておきます。
いつも朝夕通る道です。国道から一本内側に入り、周りは緑や畑に囲まれた田舎道です。春はキタキツネの親子が子育てしていたり、猫、エゾリス、鹿が横切ったり、冬は白鳥がやってきて畑に居座ったり、「あれ?水の上の優雅なやつは?」という姿を見せてくれます。彼らはリーダーやその右腕、左腕のメンバーを軸に仲間で見事な集団行動を呈します。道自体は信号もなく、車通りも少なく、上記のような癒し空間をマイペースに進んでいました。少なくとも昨日昼間までは。
子どもの習い事が終わった帰り道です。日が落ちるのが早くなり、「今日は暗いな、もうこんな季節かぁ。」と思いながらも無意識にいつも通りその道に進みました。行きは紅葉と晴れの光が美しく、「写真撮ったらnoteに投稿できるやつ!都会の人達や海外の人達は癒されるんじゃないかなぁ。」とぼんやり見惚れながら通過。問題の刻。辺りは暗いので車のライトはハイビームにしていました。突如白いモヤが一面に現れ、霧かな?とライトは普通に戻した瞬間、嫌な予感。ここどこ?家へ帰れるだろうか? 直感です。理性で否定する努力をしつつ、走りながら辺りを見ました。暗く似たような道、木の影なんかも感じられるような一見いつもの道。一本道なので真っ直ぐ走るしかありません。‥遠くない? いつもなら5分かからず通過できる家への近道です。道すがら馬の神様が祀ってあって、毎年馬頭祭が斎行されます。私はそこに馬の神様がいることがわかっていました。見えませんが、木々の高いところに爽やかで厳かな気配があります。空気が違うのです。「ここは爽やかだね!雰囲気違うよね、馬の神様がいるからだね!」かつてお散歩中に現在7歳長女にポップに話しかけると、セリフは忘れましたがわかっていたのです。彼女は私とは感性が似ています。
血液型全員集合の家庭出身で、末っ子の父と真ん中っ子の母、きょうだい1番上の長女で1人だけA型の私。血液型が絶対とは言いませんが、何せ自分と合う人間がいない。娘を産んで初めて自分に似た人間がいることの充足感を得ることができました。
道の長さに対してもまた、気のせいと思おうとする自分がいました。直感に従うと、ここはとにかくやばい。いつもは存在しない異なるどこかなのですから。「なんか長くない?」と長女。やはりわかっていた、この異様さと私との類似の点から、それは必然だったのでしょう。4歳次女は帰り道ずっと、どんぐりの歌をハミングでふんふん歌っていましたが、この時ばかりは音のない世界でした。
「馬の神様のとこ通ったかな?」思考しようと努力していると、不意に明かりが見えました。いつもの十字路が姿を現し、それはこの「道」の終着を意味していました。ライトをハイビームに戻しました。「抜けた!帰れる。」安堵が不安の奥底の表面を波のように埋めました。
これは昨日の出来事。今、図らずも帰宅時間が昨日と同じになり、慌てて子ども達を急かしました。「早く帰らなきゃ」自分の奥底から何か聞こえます。もちろん昨日の道は通らず、国道へ進みました。その間、アラームのように繰り返される「早く帰らなきゃ」はあどけない少女のような声でした。不意に、声が低く変わり獣のような風貌の「早く帰らなきゃ」が混ざり、合わさったりずれたりしていました。私は何のことかはわからないままに、しかし声に従った方がいい気がしました。家が見えました。獣の方の声は間延びして消えていきました。少女はまだ続いています。帰宅し、簡易的な片付けをしてソファに沈みました。平穏が戻りました。
あれは馬の神様の所にいたお二方からのメッセージだったのでしょう。昨日偶発的に異なる場所に足を踏み入れてしまった私達に対して、助けてくれたのです。そこへ深入りすると帰れなくなってしまうことは、共通認識だったようです。明日、お魚やじゃがいもを持ってお礼に行こうと思います。
書こうと思っていた題材は、他にもありました。でも、こんな偶発的で扱いに困る記事、しかも私が変人扱いされるリスクを負った記事を書いたのは、ひとえにnoteの存在のおかげです。ぽっと出たことをただ書いてみたらnoteは続けられる。駄文でもいいのです。後出しジャンケンのように、後から修正がいくらでも効くのですから。また、弱さや秘密、恥を堂々と書ける皆様の勇気には背中を押されました。書いても受け入れてくれる人が存在する。そんな希望を持ったnoteを改めて光のように感じました。