うつ病の母を2年間支えた私の心が壊れそうになった話
みなさんこんにちは、ばらっちょです!
(りあらいあという名前でこれまでnoteを書いてきました)
突然ですが、あなたはうつ病になった大切な人を支える中で、自分の心が疲れ果てていませんか?
うつ病の家族や大切な人を支えることは、精神的にも肉体的にも大きな負担です。
多くの人が、サポートを続ける中で、知らないうちに自分自身の心が疲弊してしまいます。
自分の心を守らないままでは、サポートを続けることが難しく、最終的には支える側も心を壊してしまうことがあります。
そして、うつ病のサポートをしているあなたは、こんな悩みを感じたことはありませんか?
「どうしても自分を責めてしまう…」
「相手のことばかり考えて、自分の時間が取れない…」
「もう限界…でも支えなきゃいけない…」
「何をしたらいいのかわからない…」
「なんて声をかけたらいいのかな…」
「誰を頼ったらいいのかわからない…」
私自身、うつ病の母を2年間支えた経験があります。
精神科看護師の経験があっても、自分の感情をコントロールできなくなり、心が壊れそうになりました。
正直、母のうつ病と向き合うことは想像以上にしんどかったです。
うつ病の患者さんとの関わり方は知っていたので、声かけやどんなことに困るのか、どんなサポートをすればいいのかは知っているつもりでした。
「精神科で働いて学んだことが活かせるなー」と、最初は気楽に考えていました。
ですが「私が面倒を見る!」と強く決意してしまったのには、あるきっかけがありました。
母の職場に休職届けを提出しにいった時、上司から「死なれたら困るから、毎日ここに顔を出せ。首に鎖でもつけておかなきゃダメだろ」と言われたことが衝撃的すぎて、私が絶対に母を守らなきゃいけないと思い込んでしまったんです。
そこから、母の面倒を見ることが私の使命のように感じてしまったのだと思います。
この2年間、私は母のうつ病をサポートし続けてきましたが、その過程で自分自身がどんどん深いところに落ち込んでいくような感覚を抱きました。
正直、私の人生全体がどん底に落ちたかのように感じることもありました。
まず、感情の消耗が激しかったです。
母のうつ病に寄り添うということは、私自身もその感情の起伏に常に向き合わなければならず、いつの間にか自分の感情を抑え込み、後回しにするようになっていました。
その結果、自分の気持ちがどんどん消耗し、無力感に襲われることも多くなりました。
さらに、自己犠牲が重なり、私の生活は母のサポートを中心に回るようになっていきました。
自分の時間ややりたいことを犠牲にして、母のために尽くすことで、私自身が何を求めているのか、どこに向かっているのかがわからなくなってしまいました。
これが続き、まるで自分自身の人生が遠ざかっていくような感覚に陥ることがありました。
そして、医師の対応も辛かったです。
「日中、母が抱く焦燥感にどう対処すればいいか」と質問しても、返ってくる答えは「頓服を飲みましょう」「体を動かしましょう」だけ。
そんな漠然としたアドバイスで解決できるわけがないと感じながらも、医師の言葉に頼るしかなくて、でも何も変わらない。
母の症状は改善しないまま、私自身の焦りだけが積み重なっていきました。
それに加えて、家でのケアも限界でした。
母が家事をやりすぎないように1日3つまでと制限をかけても、日中の落ち着きのなさは抑えられない。
そんな状態で、私はどう母を支えればいいのか全くわからなくなりました。
とにかく「仕事を休む罪悪感、自分が悪いと感じてしまう」「何かしていないとダメ」「完璧にこなさないといけない」といった認知の歪みを修正する必要がありました。
認知の歪みを修正するため、カウンセリングを受けてもらったのですが、担当の心理士さんがただ話を聞くだけで、母の言葉や苦しみを理解できなくて気持ちが伝わらず、むしろ追い詰めるような一言を平気で言っている人だったそうで、絶望しました。
そして自分の頑張りが報われない感じが、さらに私の心を追い詰めていったのです。
2年でこんなに病状が寛解しないことってあるのかな?と思いましたが、うつ病という病気の性質上、終わりの見えないトンネルにいるようなものなのでしょうがないとも思っていました。
毎日が同じように繰り返され、どれだけ時間が経っても明るい未来が見えてきません。
母は「自分がわからない」「どう生きていったら良いのかわからない」「自分は生きていても良いのかな?」と、同じ言葉を何度も繰り返すばかり。
その答えは自分で見つけるしかない…というか、本当に答えがあるのかさえわからず、私もどう答えたらいいのかわかりませんでした。
そして、答えを探し続ける母に巻き込まれていく感覚がありました。
この状態が続くことで、私自身も未来への不安や、人生そのものに対する悲観的な思いがどんどん募っていったのです。
家族の理解も得られませんでした。
父は母の病気を理解せず、「うつ病だからといって家に閉じこもっているのはおかしい。だから良くならないんだ」と無理やり外に連れ出そうとする。
そんな行動が逆効果になることを説明しても、聞き入れてもらえず、「薬を飲んでいるせいで頭がおかしくなったんじゃないか」と、精神医学そのものを否定する発言まで飛び出しました。
弟は、「仕事どうするん?」「これからどうするん?」と、未来のことを考えられる状況ではない母を無意識に追い詰める言葉を言うばかりで、遠くに住んでいることもあって生活のサポートは何もしない。
そして母は、「娘がいないと不安」「娘には申し訳ないけど、もう少し治るまでは一緒にいてくれないと困る」と言いました。
家の中でどんどん孤立していく感覚が強まり、でもこれまで育ててもらった恩もあり離れることができず、誰にも頼れず、全てを1人で背負っていました。
そして、サポートに徹するあまり、自分自身が「母のサポートをするための存在」に思えてくることもありました。
自分の感情や欲望を押し殺し、母のために何かをし続けることで、私自身の存在価値に対しても疑問を抱くようになってしまいました。
「私って何のために生きているんだろう?」
「長女だから、両親が困っているなら絶対助けなくちゃいけない?」
「幼い頃からずっと両親の間に挟まれて家族のバランスを保ってきたの?」
「両親にとっての理想の長女でいないといけない?」
「自分の心を殺し続けて、期待に応えて、両親の夢を叶えるだけの存在?」
「自分の人生って歩んじゃいけないのかな?」
そんなことを考えながら、何よりも自分自身の無力感が大きかったです。
私は精神科看護師として働いてきたのに、どうにもできない。
自分の力不足を痛感する毎日でした。
職場で積んできた経験や知識が全く役に立たないと感じ、「どうして私は、うまくサポートできないんだろう」と、自分を責め続ける日々でした。
でも誰に相談すればいいのかもわからなくて、不満をぶつける場所もなく、ただ心の中で苦しみを抱え込んでいました。
その結果、生活もどんどん乱れていきました。
眠れなくなり、昼夜逆転してしまい、気づけば酒に頼って気を紛らわせる日々が続きました。
母と2人きりで過ごす時間は苦痛でしかなく、無職で将来への不安も募る中、友達に話すことすら申し訳なくて言えなかったんです。
加えて、書類手続きや傷病手当のやり取りも本当に大変で、私がいつまでこの生活を続けなければならないのかという絶望感が常に付きまとっていました。
昼も夜も実家で過ごし、良くならない母のそばにい続けるという現実。
何度も同じ話を繰り返す母に苛立ち、「もう限界、ってか長女に頼りすぎじゃない?」と思うようになりました。
実際、母がうつ病になり2年目が終わりに近づく頃には、自分の感情が抑えられなくなり、母に対して強く言ってしまうことが多くなりました。
「夫婦の会話が足りてないだけやん!私に頼らずに、直接父に言ってよ!」とか、「私が同じような状況で悩んでいた時、今まで散々私に厳しいこと言ってきたくせに!」と、母に対して苛立ちをぶつけてしまう場面もありました。
自分が心の余裕を失っていたからこそ、冷静になれず、そういう言葉が出てしまったのです。
母は私を自分の心の拠り所として利用してきました。
母にとって、私は「全肯定してくれる都合の良い娘」であり、依存の対象でした。
時には私をこき下ろしながらも、自分の都合の良い時だけ私に頼ってくる。
そうした不公平な関係が積み重なっていきました。
もちろん、母が私のことを愛し、大切に思っていたこともわかっています。
しかし、その裏では、自分の生きがいにしてしまうほど私に依存していたのです。
そうした依存が続く中で、許せないという感情がどんどん募り、私自身の心の余裕がなくなっていきました。
「どうして私だけこんなに苦しまなくちゃいけないの?」そんな疑問がずっと消えませんでした。
毎日イライラしていて、感情のコントロールが効かない私に対して、母は訪問看護師さんに「娘が怖い」と、まるで自分が被害者であるかのように話していました。
それがまた、私をイライラさせる原因になっていました。
いつまでこんな人生が続くんだろう、きっと私はこのまま親が思う通りの人生を生きるしかないのだろうなと諦めかけていました。
ですが、ある転機が訪れたことで、私は絶望から抜け出し、今では自分自身を取り戻すことができました。
どうして変われたのか――それは、私が学んだこと、そして何よりも他の人に頼る勇気を持ったことが大きかったんです。
ある日、「もう1人では耐えきれない」と感じ、働いていた病院の家族相談室に駆け込みました。
そこで出会ったのが、以前一緒にお仕事をさせてもらったリエゾンナースさん。
彼女は私の話をじっくりと聞いてくださりました。
そして、「あなたは、精神科看護師だったからって、1人で全部を抱え込みすぎたんじゃない?よく1人で頑張ったね。本来なら、医師や心理士が負担するところをやってたのだから、つらくて当然だよ。これからは私たちを頼っていいからね」と言ってくださりました。
その瞬間、「1人で抱え込まなくていいんだ」と気づいたんです。
精神科で専門家として働いていたんだから、私が全部やらなくちゃ、母の病気を治さなくちゃ、長女なんだから治るまで一緒にいなくちゃって、2年間本気で思っていました。
そうじゃないと知ることができただけで、めちゃくちゃ心が軽くなりました。
そこから、心を守るための大きな一歩が始まりました。
さらに、その後、新しい病院の先生にも出会いました。
先生ははっきりと、「長女さんがいなくても、本人さんとご主人が中心になった生活を目指しましょう」と言ってくれたんです。
その言葉に救われ、私は両親と距離を取る決断をすることができました。
自分を守るために、境界線を引くことを学んだんです。
それから、私は「リフレーミング」「アンガーマネジメント」、そして「境界線を引く技術」を学び、取り組んでいきました。
リフレーミングでは、物事を新しい視点で見直す力を身に着け、ネガティブな感情に振り回されることが少なくなりました。
アンガーマネジメントでは、自分の感情をコントロールし、怒りに流されることなく冷静に対処できるようになりました。
境界線を引く技術では、自分の限界や大切なものを守る方法を知り、他人の期待に無理に応える必要はないと理解しました。
これらを学ぶことで、私は自分の心を守り、少しずつ自分の人生を取り戻していったのです。
そして今では、同じように苦しんでいるうつ病の患者さんをサポートする立場になっています。
どん底にいた私でも、他の人に頼ること、そして新しい技術を学ぶことで、ここまで変わることができました。
そして、何よりも大切なのは、「1人で抱え込まないこと」だと感じました。誰かに話を聞いてもらい、サポートを得ることが心の救いになります。
かつては、自分の人生がどん底に落ちたと感じていましたが、今では自分自身を大切にしながら、他の人のサポートができるようになったんです。
元々私は、人間の心や精神のことがおもしろくて大好きなんです。
でも、ずっと母のうつ病を治せなくて、自分の無力さに苦しみ、「やっぱり私には無理なんだ」と思っていました。
だけど、悩み苦しんだことは間違っていなかったんです。
元上司の訪問看護師さんにもこう言われました。
「あなたがここまで土台を作ってタネをまいてくれたから、私たち訪問看護がやるのは、刈ることだけだよ。ここまでよく頑張ったね」と。
そう言われたとき、やっと自分の努力が報われたように感じました。
そして、この経験はきっとうつ病を支える方の役に立つと信じています。
私が感じた苦しみや挫折、そしてそこから這い上がったプロセスが、同じように悩んでいる人たちの力になればと思います。
何より、私自身が学んだ「1人で抱え込まないこと」「心理テクニックの大切さ」を通じて、少しでも他の人が前に進むきっかけを与えられたら幸いです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これからも、この経験を生かし、うつ病を支える人の心に寄り添える存在でありたいと願っています。
私のように1人で抱え込み、心が押し潰されてしまいそうな方へ向けて、今度は私がうつ病を支える方の心の負担を減らせるように、公式LINEからうつ病を支える方向けの無料カウンセリングを行っています。
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これらの音声は、すぐに実践できる内容ばかりです。これを聴くだけで、あなたが感じている悩みや不安に対するヒントが得られますので、ぜひ受け取ってください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
カウンセリングでお話しできるのを楽しみにしています。
どうか、1人で抱え込まず、私にも少し背負わせてくださいね。