2・餃子240個の日常と苦悩の始まり
《りろの食・旅エッセイ》~食べることは生きること編~連載・2
「餃子240個の日常と苦悩の始まり」
いつの日からか、キッチンに小さなイスが置かれるようになった。
母の鏡台にセットされていた少し低めのイスだ。
私の背丈の半分近くはあるそのイスに「うんしょ」と上りついて立ち上がれば、どうにかキッチンの台に手が届く。
私専用のお立ち台だ。
そこからの眺めが大好きだった。
料理している母の手元がぜんぶ見える。
ピーラーでジャガイモの皮をむき、例の禁断の包丁でトン、トンと切って玉ねぎを煮込んでいる鍋に入れる。
お肉を入れて箸でゆすると、赤い塊がハラハラとほどけてすぐに黒っぽく変化する。
何やら浮き上がってきたモロモロを器用にすくい取り、調味料を順番にどんどん入れていく。
「アク、取ってくれる?」
「やる!」
よっしゃ、出番だ。
大はりきりでおたまを持ち、モロモロすくいに挑戦だ。
見よう見まねでスイっと華麗におたまを滑らすが、モロモロは思いのほかすばしっこい。
逃げるモロモロを追う。
やっと捕らえたかと思いきや、玉ねぎの陰に隠れていた新たなモロモロが姿を現す。
ええい、逃してなるものか!
「火傷したらアカンえ、気ぃ付けてな」
夢中でモロモロと格闘する私をチラチラ見る母の顔はどことなく楽しそうだった。
餃子を包む日はスペシャルだった。
なにしろ一気に240個も包むのだ。30枚入りの皮を8パック。
いくら一口サイズの餃子とはいえ、うちは6人家族、しかも祖母は餃子ギライ人間だから1人20個としても100個あれば十分だろうってもんだが、
「今日こそは100個食べるぞ!」とか言ってる中2怪獣と中1怪獣の男子2人がいるのでとにかく数が要る。
母は時計が3時を指すとお湯を沸かし出し、キャベツをゆでて特大ガラスボールに合挽きミンチをジャンボパック3つ分ぐらい入れて種を作り始める。
私は餃子の皮をテーブルの隅から隅まで並ぶ限り並べてスタンバイ。
母がスプーンで種を配分するのを待って、端からひとつずつ手に取りどんどん包んでいく。
ひだは母が3本、私は5本。
ひだを多く入れたいのだ、私は。
たまに6本、7本とひだひだな餃子を作っては満足した。
けれど、すべて包み終えて皿に240個の餃子が並ぶ壮観な情景を見渡すと、ひだ3本で統一された母の餃子は整然として明らかに大人だった。
私が作った7本ひだ餃子はこんもりとした小山になり、気合い入れて10本もひだを入れた特別バージョンは小さな肉まんのようで少しがっかりした。
日が暮れかけるといよいよ焼く段階に入る。
2枚のフライパンを使い、時間差で次々と焼きあげる母の手つきはもはや職人技。
しかも合間に餃子ギライの祖母のためにチキンステーキまで焼く。
テーブルに集まった家族は、餃子が焼きあがるやいなや方々から箸をのばしあっという間にたいらげてゆく。
「100個に到達! 今日はまだイケそうやー」と絶好調な声をあげる中2怪獣を見て笑いながら、母は10回目のフライパンを返して200個を焼き上げ、2枚のフライパンに残りの餃子をギッシリ敷き詰め火にかけたところでやっと食卓につく。
「そんなに食べて大丈夫か?」
「うん! まだまだイケそうやで。目指せ120個」
「あんまり無茶したらアカンえ。ほんで、りろちゃんは何個食べたん?」
「んーーー」
「10個ぐらいは食べたか?」
「んと……4個」
「まだ4個かいな。がんばって食べよしや」
「うん」
兄が100個もの餃子をたいらげている間、ちびちびと何ミリかずつかじりながら私はやっとのことで4個まで進んだところだった。
10本ひだの餃子を発見したので、それだけは素早く確保し、ひだ1本ずつかじりながら食べる。
5個で「お腹ふくれた」と言う私に、母はいつもこう言って鼓舞した。
「もうちょっとだけがんばろ? な? あと2個だけ食べよ? な? ほらがんばれー!」
作るのは本当に好きなのに、食べるとなるとからっきし。
おやつを食べるわけでもないし、偏食でもない。
ただただ食べない人間。
けれども救われたのは、家族が私を必ずほめてくれることだ。
「あ、この盛り上がってるやつ、りろちゃん作ったんか? かわいいやん」
「上手にひだ作れたやんか! 細かいひだひだ出来たやん。えらいえらい」
兄は2人とも、歳の離れた妹の頭をクリクリと撫でまわしながら何かとほめる材料を探してくれた。
父も晩酌しながらニコニコな顔で無条件に私をべた褒めする。
「お前が作ったんか。そうかそうか上手だねえ、えらいねえ、かしこいねえ、かわいいねえ、そうかそうかよしよしかわいいかわいい」
ほぼ酔っ払いの勢いなので何をほめているのかよくわからないのだけれど、とにかく好感を表してくれているのは十分に伝わってきた。
おかげで食事の時間は大好きでいられた。
自分の功績を発表する小さなステージだったのだ。
食べないけど、食卓は幸せだった。
とはいえ食べないのは親を相当に困らせたはずだ。
母は困りながらも、あの手この手で工夫を凝らして何とか私にご飯を食べさせようとした。
幼稚園に持たせるお弁当には2センチのおにぎりに1センチの海苔を巻き、小さいものなら何を見ても喜ぶ私の心をつかもうとトライしてくれたし、ひな祭りには直径2センチ足らずの「太巻きずしの細巻き」を作って「はい、りろちゃん用できたえ」とミニチュア皿に並べてくれた。
こんな両極端な子どもたちに合わせて食事を作るのは大変な苦労だっただろうと、今になってしみじみ思う。
困ったのは母だけではなく、ついに私自身も本格的に困る時が来た。
小学校に入学したとたん、給食なるものが始まったのだ。
初めての給食の日の衝撃を、私は今もハッキリと記憶している。
担任の先生の指導が驚くべき内容だったからだ。
「給食は、1、2、3と三角の法則で食べましょう」
そう言って先生はお手本を見せてくれた。
「まず牛乳をコップに注いで、1でパンを手でちぎります。2でそれを牛乳に浸して3で食べましょう。はい、では始めますよ。イーチ、ニー、サン!」
目が点になった。
パンを牛乳に浸す!?
き、き、気持ち悪い……そんなぐにゅぐにゅのパン、イヤや……。
「できましたかー? はい、その調子でー、イチ、ニッサーン」
どこが三角なのかもよくわからなかったが、それ以上にぐにゅぐにゅのパンは強烈だった。
半泣きで家に帰り、母に訴えた。
「パン、牛乳に浸しなさいって言わはる……。給食イヤや」
母は苦笑いしていた。
「そんなん言わはったん? まぁイヤやったら浸す格好だけしといたら?」
「うん……」
翌日、母のアドバイスに従い、わざわざパンをコップの位置まで持っていってから口に入れるようにしてみた。
とりあえずクリアできそうだ。
しかし今度はパンがマズイことに気付いてしまった。
また半泣きで帰って母に訴えた。
「パン、カビ臭い。端っこがへんな匂いすんねん」
「ええ? ちょっと見せて」
パン2枚のうち、1枚は持ち帰ってもいいと言われたので1枚をビニール袋に入れ、さらにもう1枚も真ん中だけくりぬいて端っこはこっそり持ち帰っていた。
「うーん、カビは生えてへんけどなぁ。大丈夫やと思うよ?」
仕方がないので、次の日からは毎日、1枚分のパンの真ん中だけくりぬいて食べ、残りは先生が見ていない隙にサッと素早く隠して持ち帰る日々が続いた。
絶対、カビ臭いって。
そう思ったら喉を通らなかった。
おかずも牛乳もあんまり喉を通らなかった。
給食後の昼休み、私だけが掃除のために後方にのけられた机に挟まっていつまでもパンを数ミリずつかじっていた。
掃除当番の子らがほうきで埃を舞い上げる中、どうやったらもっと早いうちにパンやおかずや牛乳を隠してしまえるかばかり考えていた。
掃除が終わって机と椅子が私ごと定位置に戻されてもまだモグモグしている私に、先生はあきれ顔で言う。
「もういいから片付けなさい。午後の授業が始まるから、しょうがないわね。残したおかずは調理室へ行って、調理員さんにごめんなさいって言ってきなさい」
調理員さんには申し訳ないと本当に思っている。
またこの子か、という顔をしながら調理員さんはいつも優しく返事をしてくれた。
これが私の日常。
こうして私の苦悩はエスカレートしていった。
つづく
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