フラットでいたいとき、心を落ち着けるスイッチにしているもの
季節の変わり目には、体のデトックスが起こると言われています。
眠かったり、食欲が落ちたり、なんとなくだるかったり。。。
気持ちも同じだなあと感じます。
夏休みやお祭りなど夏のイベントが終わり、気候も秋めいてきて過ごしやすくなっている中、心のゆらぎや疲れが感じられるこの頃です。
そんな時に心の居場所を平らに整えておけるような自分なりの時間づくりを意識しています。
音のこと
普段はvoicyを聞きながら家事をしています。
暮らしの話をされている方を何人かフォローしていて、毎日の楽しみでありルーティンです。
ときには、音楽も意識して流しています。
余裕がないと、好きで聞いていたvoicyも聞こえてくることばたちが耳の奥に押し込まれて蓋をされるような窮屈感を覚えてしまうんです。
アプリの再生ボタンを押すとわりとすぐやってくるその感覚。そんなときには、代わりに音楽のスイッチを押すことにしています。
今私がスタッフとして働いている食事のお店には、店主がおすすめする調味料や器が並べられていて、心穏やかに過ごせる一枚をと、お願いしてお勧めしてもらった音楽を流しています。
そこにはいつでも、どのシーンでも、どの部分から聞いても自然に始まりつながっていく音楽が詰まっています。
日が昇る前の薄暗い台所でも、雨がしとしと降る窓際でも、すず虫との合奏もそれぞれしっとりと受け入れて時間を動かしていくあたたかさだなぁといつ聞いても思うんです。
ぼーっとする
読書する
洗濯物を干す
料理をする
昼寝をする
お茶を飲む
こんなことを聞きながらしています。
実際、この投稿を書きながらも音楽は流れていて、思考を妨げることが決してない安心感も「好き」の一つの理由だと思っています。
茶のこと
温かいものを体にいれてほっとできる時間も心の落ち着きには必要な時間です。
毎朝温かい番茶を仕込むということを一年通して続けていますが、それ以外に特別なとき飲むお茶をいくつか用意しています。特効薬のような存在といえばいいのかな。
飲むまでにはちょっと手のかかるお茶もありますが、お湯を注ぐ時間や蒸らす時間も含めて「特別」な時間と考えて。
いつもなら、お湯を沸かす時間にお米を研いだり洗い物をしたり、なにかと効率や段取りを考えてしまいますが、この時ばかりは目の前にあるものだけに意識を向けて。
ぽこぽこ沸騰するお湯のはじける泡や、沈んでいく茶葉浮いたまま揺れる茶葉など眺めてぼーっとするのもいいものです。
香のこと
空気を換えたいと思うときには、お香を焚きます。
煙は場を浄化させたり、清めたりする効果があるそうです。
今使っているのは、棒状になっているお香(白檀)とマッチタイプ(金木星)のもの、そしてパロサントという木片です。
それぞれ香り付きですが、パロサントはなんというか、お盆に焚く迎え火を連想するというか、その中に香ばしさも感じられるというか、不思議な感覚があります。
一定の煙が楽しめるお香と違って、パロサントは煙がしばらく出続けることがあります。
いらないものを燃やしてその場の「気」を整えてくれているのかなと期待しながら、部屋の中を歩いて煙を回しています((笑))
普段の、カーテンを揺らして外から入ってくる新鮮な空気ほど心をリフレッシュさせるものはないと思っています。
草刈りの後の香り、雨上がりのアスファルトの香りが個人的にはすきなのですが、ふと昔遊びに行ったおばあちゃんの家の思い出にリンクしていたり、子ども達から「ゆうやけのにおい!」と聞こえてきたり、かおりが運んでくる豊かなイメージや懐かしい記憶って他の感覚にはないものかもしれないなあと思いました。
動のこと
体を動かすには心が元気な状態でないと、と考えてしまうことがあります。
でも、敢えて体を動かしてみるという手段を持っていたいと思っています。
散歩、軽い筋トレ、草とり、なんでもいいです。
体が温まって呼吸も促進され、自分の中にあるエネルギーを感じられる時間があると、気持ちが前を向く原動力になってくれそう。
自分の体温を感じ、「今ここ」を意識できるだけで、安心できることってあると思っています。
心や気持ちって目には見えないものです。
体は物体として目に映るのに。
でも、体と心はいつもつながっていて両方が健康的であることが一番です。
見えないものを大切にするって難しいですよね。
自分の中にあるはずなのに、変化に気が付かないことも多いです。
季節の変わり目に少し自分を労わる時間を意識してみるといいのかもしれません。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。