#001 あらやだ 栄光なきクリエイターたち
noteを見ていると不思議に思う。あるクリエイターには多くのフォロワーがついているのに、ほとんどフォローもされずに淡々と投稿を続けるクリエイターがいる。フォロワーが少ないクリエイターが書く記事はつまらないのか?
断じて否。
彼らにとっては、他人からどう思われるかなんてどうでもいいのだ。読み手を意識していないから、ややもすると素っ気なかったり、癖が強すぎたりもする。しかし、彼らが書く記事には、ブレない強さや真似ができない自由さがある。
そんな栄光なきクリエイターたちをそっと追ってみよう。わたくし御丹珍の独断によって選ぶ。原則として1記事につき1クリエイターのみを採り上げる。事前に記事で紹介する承諾を得るべきか迷ったが、そもそもフォロワーがいてもいなくても気にしない方々なので、私も思うままに紹介させてもらう。当該クリエイターの方には、この場にてお礼を申し上げます。(文中敬称略)
あらやだ
あらやだのみのクリエイター名に、ラフな線のみで描かれたネコらしきプロフィール画像。私は何となくその潔さに魅入られて、すぐにフォローボタンを押した。日記を淡々と書くクリエイターは、あらやだの他にもたくさんいるが、それまでは他人が書く日記に興味はなかった。
一見すると何の変哲もない日記
メモ日記とやらを読んでみると、ほぼ毎日ラジオ体操から始まる。来る日も来る日もラジオ体操。日々の生活を事細かに書いてあるものの、赤裸々に自分の境遇を語るでもない。しかし、リズムが良いのだ。何かしら重大な出来事が起きる訳でもなく、深い内省を吐露しているわけでもない。日記そのものは一日たりとも途絶えたことはないが、必ずしも記事が毎日公開されるわけではない。まさにほぼ日である。
絶妙な脱力感
何度か読んで、なぜあの時にあらやだが私の目に留まっただけでなく、読み続けたのか氷解した。新聞や雑誌のコラムのテンポなのである。言うなれば脱力系天声人語だ。社会性を感じさせない日記なのに。
ただ、最初の記事が公開されてから4ヶ月も経つのに、つい先日までフォロワーは、私ただ1人しかいなかった。
シンプルなのにオチが読めない
この日もやはり朝のラジオ体操から始まる。
寒くてスウェットを着込み、衣替えに言及したところで、服装についてあれこれ書くと思いきや、服も布団も多くは同じ物を通年使用というオチがつく。仕事に疲れた後でぼんやりと読むのに最適な逸品である。
フォロワーが私しかいないので記事にしようと下書きしたら
長らくあらやだのフォロワーとしては、私の独占状態が続いていたが、どう考えてもあらやだが見落とされている気がして、不遇を託つ孤高のクリエイターたちを記事にしようと思い立った。
なんと、構想を練り上げて下書きを始めたその日に、あらやだに2人目のフォロワーがついたではないか。これを見て、あらやだを紹介しようとしていたのに矛盾した思いがあることに気づいた。自分しかフォロワーがいないことに密かな満足感を覚えていた私は、失意のうちに眠りについた。「ずっとフォロワーが自分しかいないからぜひ読んでみてくれ」と書くつもりだったのに、記事にする気が半減してしまった。
そして、その翌日には3人目のフォロワーがついた。しかも、よく見たらあらやだはいつの間にかブルースカイのマイページを貼りつけているではないか。3人目のフォロワーがついたなら思い残すことはない。どこから見てもみんなのあらやだである。予定どおり記事を書こう。
この記事が公開されたら、あらやだにも通知が届く。それを読んで「あらやだ、御丹珍」と呟く姿が目に浮かぶ。
あなたも見つけよう。知られざる栄光なきクリエイターを。
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