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誰の目にも留まらない 栄光なきクリエイターたち #005

前回の記事

noteを見ていると不思議に思う。あるクリエイターには多くのフォロワーがついているのに、ほとんどフォローもされずに淡々と投稿を続けるクリエイターがいる。フォロワーが少ないクリエイターが書く記事はつまらないのか

断じて否

彼らにとっては、他人からどう思われるかなんてどうでもいいのだ。読み手を意識していないから、ややもすると素っ気なかったり、癖が強すぎたりもする。しかし、彼らが書く記事には、ブレない強さや真似ができない自由さがある。

そんな栄光なきクリエイターたちをそっと追ってみよう。わたくし御丹珍の独断によって選ぶ。原則として1記事につき1クリエイターのみを採り上げる。事前に記事で紹介する承諾を得るべきか迷ったが、そもそもフォロワーがいてもいなくても気にしない方々なので、私も思うままに紹介させてもらう。当該クリエイターの方には、この場にてお礼を申し上げます。(文中敬称略

今回は、初めて投稿したものの、誰の目にも留まらずにいる新規参入者について考える。


植田

ふと私の目に留まったのは、記事を1本だけ公開しているものの、フォロワーもスキもどちらも、ただの一つもついていなかった植田であった。記事を読んでみると正直な思いにうなずいてしまった。

私は日記を書くのが苦手です。それは、読み返したときに恥ずかしく思うから。過去の自分の考えや感じたことが、今の自分から見ると未熟に思えたり、ちょっと大げさだったりして、直視できなくなることが多いです。 そして継続するのも苦手です。最初は「毎日書くぞ!」と意気込むんだけど、すぐに忘れたり、面倒になったりして続かない。それで途中でやめてしまうと、また「どうせ続かないんだから」と思って、次に挑戦するのも億劫になってしまいます。 それでも日記を書くことにはメリットがあると聞くから、少しずつ取り組んでみたいと思うけど、どうしても気が乗らない。だから気分が落ち込んだときに書くことにしたいと思っています。

2025年1月1日 植田の「日記」全文

はい、大いに共感します。私も日記を書くのは大の苦手です。したがって、noteに日記を投稿したことは一度もございません。

ほとんどの人が同じ気持ちになったことがあるはず

植田の記事にあるように、誰しも自分が書いた文を読み返して恥ずかしい思いをしたことがあるはずだ。私などはnoteで恥の見本市を開いているようなものだ。この羞恥心は自意識から湧くもので、実際には新規参入者の記事を読んでくれる人などほとんどいない。
面白いもので、多くの人が記事を投稿しても読んでもらえない悲哀を味わったのに、自分も新規参入者には目もくれないのである。
植田は、元旦に初めての記事を公開したが、私がスキを押すまでの半月の間は、スキもフォローもつかなかった。自己紹介初めて投稿しましたアピールの記事には、大量のスキがつくことは珍しくないのに、正直に胸中を吐露しつつも、また投稿することを匂わせて終わるこの記事は、誰の目にも留まらずにいた。誰かに読まれた実感があれば、何かの拍子に自分の思いを読んでほしくて、また書こうという気になるかもしれない。

植田さん、はじめまして。
気が向いた時で良いので、また記事をお書きください。
よろしくお願いします。

植田への御丹珍のコメント

植田はこのコメントにスキを返してくれた。どうか一人でも多くの新規参入者に投稿を続けてほしいものである。


1月20日追記

植田が2本目の記事を公開した。

前回の記事から2週間が経ちましたがいいねやコメントで見てもらえてるのが実感できて嬉しかったです。ありがとうございます☺️

植田 「お父さん」の冒頭

しかも、次の記事では母上について書くと予告しているではないか。目頭が熱くなった。


書くとは考えることである

記事を書く目的は、人に伝えるためだけではない。二天(にてん)の言葉を借りよう。

たとえ記事として公開するに至らなくても、noteに書いてみようと思い立った時点で、何かしらの考えが頭に浮かんだのである。記事によって伝える以前に、自分の考えを文字に表してみることの意義は大きい。さらに思索は深まる。まずは自分のために書くのである。

失望して記事を公開しなくなる新規参入者

noteには著名人や有名作家も投稿しており、彼らには多くのフォロワーがついている。また、noteに有料記事を書くことで金銭報酬を得ることもできる。その一方でnoteを始めてみたものの壁に当たってしまい、記事の更新が滞っている者は数え切れないほどいるであろう。

見過ごされがちな新規参入者に目を向けているのは私だけではない。爽快は、挫けそうな初心者に向けて記事を書くことで、アドバイスとエールを送り続けている。

新規開店したのに、告知もせずにチラシも打たずにいては、お客から認知されないのも無理もない。
一つだけ言わせてもらうならば、初期設定のままのプロフィール公式アイコン画像はたった12種類と少なく、被りまくってしまうので一覧に並んでも識別しづらい。また、読み専アカウントと誤認されやすいので、一読者としてはアイコン画像を自分で選んだものにしてもらったほうが有難い。看板の企業ロゴがどこも同じ書体では、消費者が判断に迷ってしまう。noteで収益化を目論むなら尚のことである。 え?ついこの間まで、お前がアイコン画像をコロコロ変えて遊んでいたのを憶えてるぞって、、、申し訳ない。深く反省しております。

待っていては何も起きない

noteには、mixiのような足あと機能がないので、記事を読んでスキを押さないと自分の存在すら認知してもらえない。noteではフォロワーのタイムラインに自分の記事が表示される仕組みになっている。いきなりフォローする前に、まずは読んだ記事にスキを押してみよう。どんなに良い記事を書いても、ある程度は自分から知ってもらうアクションを起こさないと、ほとんど誰にも読んでもらえない。
読んでもらえないと嘆く前に、自分から「読んだよ」と知らせることが重要である。まずはスキだけでいいよ。気楽に行こうぜ。もしコメントを貰ったら、無理に返事はしなくていいからスキだけでも送ろう。もしあなたがコメントを貰いたいなら、優しそうなクリエイターの記事に「こんにちは、よろしくお願いします」だけでいいから書いてみるのもいいかもな。

私はnoteに登録してから2年以上も記事を公開しなかった

ふた月ほど前に、noteから「登録して3年」のバッジ(通知)が届いた。しかし、私が初めて記事を公開したのは2024年の4月で、本格的に投稿を重ねるようになったのは7月であるから、まだ実働半年ちょっとの新米クリエイターである。
最初のクリエイター名は魚肉菜茸汁であった。なぜかというと、当初はクリエイター名を何にするか考えていなかった。設定作業を早く終わらせたかったので、直前に見ていた鍋料理の画像をアイコンに指定し、寄せ鍋の主な具材を列挙してお茶を濁すことにした。

登録当時のアイコン画像が見つからないが、このような画像をアイコンにし、思いついた安直なクリエイター名をつけた

登録してから何か一本書くことにして、読書論を一席ぶってやろうと、「もし読書が高尚でないならば誰も本など読まない」と仮題を付けて、1行目を文字にした。

「私にとって読書は娯楽に過ぎず、高尚な趣味だなんてこれっぽちも思っていません」などとのたまう人がいるが、もちろん嘘八百の建前である。本心では読書が苦にならない自分を誇示したいから、わざわざこんなどうでもいいことを述べるのだ。

没になった初めての草稿

よし、いいぞ、改行して2行目だ。むむっ、???
何も書けん!

思い返せばいきなり大上段に構えたのがまずかった。読書論というテーマも遠大で無謀だし、直近に読んだ本のタイトルと内容をサラッと書く程度にしておけば良かったのである。自分の筆力のなさに打ちひしがれたが、遂にはnoteに登録したことすら忘れた。noteに戻ってきたのは、2年ほど経ってからか、検索して読んだ記事がたまたまnoteのもので、過去に登録していたことに気づいたからである。
その後は、読んではコメントするだけのうざい利用者の期間が半年ほど続いた。記事を書くようになったのは、大津のことを少し書きたかったのと、ネットの石丸旋風筆誅を加えてやろうと決意したからである。しかし、noteをまとめるのは案外難しくて更新は滞った。自分が雑文も満足に書けない御丹珍おたんちんであることを率直に認めて、クリエイター名をこれに改めて仕切り直すと気が楽になった。
結論を述べると、記事を公開しないから次にどう書けばいいのか分からないのである。とりあえず公開してしまえば、手直しもしたくなるし次に書かねばならぬことも頭に浮かぶであろう。

初心者諸君(←お前が言うな)、焦る必要はない。毎日投稿する必要もない。でも、もう一回だけ書いてみよう。書けば昨日とは違う視界が開けてくるよ。


あなたも見つけよう。知られざる栄光なきクリエイターを。


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