#260 うんざりしている。

 11月1日午後13時、わたしは担当の弁護士氏と待ち合わせの上、今回の自己破産手続きで破産管財人を担当する弁護士(以下、管財人)の事務所を訪ねた。弁護士氏からは事前に、管財人は債権者側の立場であり、わたしの借金を免責するかどうかなど、全てを決める権限があるということを、メールと口頭で2度言われていた。しつこい。だが、それだけ重要なポイントなのであろう。しかしながら、その管財人を雇う金もわたしが用意した弁護士費用の中に含まれているというのだから、なんとも複雑な気分である。

 管財人からは事前に、破産申し立て直前の銀行の履歴を提出するよう指示されていたため、各銀行の履歴を印刷して提出した。まっさきに『Uber EATS』と書かれた履歴を指さし、「これは贅沢ですね」と仰る。これは、弁護士氏には繰り返し説明していたことだ。わたしは独身で身の回りの世話をしてくれる人はいないし、ゴミ屋敷であったこと、鬱による注意力の不足から火を扱うことに危険を感じることから、出前を頼まざるをえない日があると。

 わたしは昨年の12月頃、自殺を図る前に宝くじを購入している。宝くじを買う趣味は2年ほど前にやめていたのが、死ぬ前に一か八かで宝くじを買ってみる、という心理は特段不自然ではないと思う。これもまた、弁護士氏にあらかじめ説明していた。2年以上ぶりの、数千円の宝くじの購入歴を指してまた、「これは贅沢ですね」と管財人。

 管財人の「これまでの無駄遣いをどう思うか」という風な質問に対し、わたしは医師ではないがと前置きのうえ、買い物依存はドーパミンの不足、つまり快楽の不足感により起こり、自分の意思では止められない。その根本には、脳内伝達物質が正常に分泌されず気分の落ち込みにつながるメンタル疾患がある。そのため心療内科へ通院し、服薬治療をしているわけです、といった旨の回答をした。

 このあたりで管財人より、「はぁ、薬を飲んだら買い物をしたくなくなるんですか?」と問われる。正直なところ、馬鹿にされているのかと思った。わたしは、アルコールやタバコを摂取すると脳内伝達物質が出ることで、その物質に依存する場合があるが、例えばギャンブルをするといった、薬物の摂取を伴わない行動にも同様に依存性がある。買い物も同じで、買い物の興奮が脳内麻薬を発生させる。抗うつ薬を飲むことにより、死にたい気分への効果は比較的早く感じたが、嗜癖が即なくなるということはない。そのため、定期的に医師の診察を受け、体調や気分だけではなく、買い物をしたいかどうか、ということも含めて話をし、アドバイスを受けているわけです。

 管財人は困り顔で、「では、反省文を書いてください」と要求する。また、事前に「虚偽の説明を行うと刑事罰を受ける」との注意文に署名をさせられていた。罠みたいな話である。わたしは反省などしていないのだから、それこそ書けば虚偽になる。しかしこちらは、この債務整理を行うため既に50万円を支払い済みである。そして、管財人の要求を拒否すれば、50万がパァになるどころか、免責が認められず、借金までそのまま残ることになる。実質的には強要である。

 あなたがたが贅沢や無駄遣いと言うもので、楽しんだことまでは否定しない。しかし、そのほとんど全てがメンタル疾患の絶望の中にて「おいしい」や「楽しい」という一瞬の快楽を発生させ「死にたい」を少しだけ忘れることで、毎日をつないで生きていくしかない現実があったのだ。「もう買いたくない」と思いながら買い物をする気持ちなど、想像もつかないだろう。風呂に入れず洗濯もできず、あまりの臭さに外出できない気持ちが分かるか。出前をとるしかないんだよ。おまけにこれは愚痴だが、弁護士はわたしが禁煙したことなど全く評価しない。どころか、話題にもあがらない。あれが無駄遣いの最たる物だったと思うのだが。

 はたしてこれは、「甘え」であったり「盗人猛々しい」という類いの話だろうか。一般的にはそうかもしれない。しかし、わたし自身はそう思わない。債権者も限度額の上限が迫った際にタイミング良く上限額を倍増してきたり、特別金利のキャッシングを契約しましょうとセールスしてきたではないか。債務者が金欠になる頃合いに誘惑し、多重債務に陥れるノウハウを活かして儲けようとしたではないか。その後、債務者が延々と利息を払い続ければ、貸したもの勝ち。元金を回収する前に破綻した場合は負けである。借りる阿呆に貸す阿呆、わたしはそんな構図で捉えているため、反省の心などつゆほどもないのだ。

 わたしは医師が「(買い物依存に陥り破綻したのは)病気のせいですよ。自分を責めずに、現在の時点で踏みとどまれたことを褒めてあげてください」と言ってくれた、その言葉を覚えている。その後も医師からは、「お財布が許す範囲で、よく考えた上で欲しいものがあるのなら、べつに買い物をしてもいいんですよ」とか、「動けないと感じる日は、動かなくていいんです(出前をとってもいい)」というアドバイスをもらっている。弁護士が想定する「破産者であるからには、必要最低限の生活を送っていなければならない」というストーリーと相反するものだ。だからわたしは、いまでも混乱している。あの日帰宅してから、ずっと真っ暗な部屋の中で耳栓をして布団に潜り込んでいる。

 この11ヶ月間、死ねなかったあの日から、生きていてもいいのかな、なんとか生きていけそうだ、と少しずつ尊厳を回復してゆき、最近では希死念慮にさいなまれる日もほとんどなかったというのに。今は、頭が真っ黒である。破産手続きの最後まで、正気でいられる自信がない。これまでも、死んでいた方がマシだったと思うことが数度あったが、いまはその中でも最も不愉快な気分を味わっている。しかし、これまで数々の手助けをくれた家族や友人、noteの皆様を裏切ることがないよう努力したい。必ず生きて、また生存報告をします。

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