自己について
【 #アイデンティティー 】自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性 #自己同一性
近頃ではとくに心理学者でなくとも普通に使うカタカナ言葉で、「自分という人間は自分以外の何者でもない」などといったことを仰々しく見出したり、あるいは見失ったりしたあげく、極めて拙い自作の詩に極めて拙い自作の曲をつけて歌うのが #自己表現 だと思い込むような子供たちを丸め込むときによく使われます。
ゆめ【 #夢 】将来実現させたいと願う事柄。
これも似たような使われ方をする便利な言葉です。
本来どんなに努力しようが実現不可能な願いのことを夢と呼んで、努力次第では実現可能な願いのことは #目標 と言うべきなのですが、「夢を夢で終わらせないためには努力が必要…」というような使い方をすると、努力さえすればどんな願いでも叶うかのような錯覚を子供に与えてしまいます。
努力次第でどうにかなるのなら最初から夢ではなく目標という言葉を使うべきなのです。
子供に対して「常に夢を持ち続けろ」とか「夢をあきらめるな」というのはとても狡くて無責任な言葉の使い方です。
子供のことを真剣に考えるのなら「常にできるだけ高い目標を立てろ」「目標を立てたらけしてあきらめるな」というべきなのです。
そしてまた、 #創造 することだけが自己表現ではないし、 #成功 することだけが #自己実現 ではないと教えるべきなのです。
新たな #価値の創造 や #真理 の発見といったことは誰にでも成し得るわけではありません。
傑出した能力と幸運に恵まれたごく少数の人間を除いて、大多数の人々は平凡な日々の生活のなかで各々の自己表現と自己実現の途を探れば良いのです。(究極的にはその人の生き方自体が自己表現であり自己実現でもある)
こういうことを子供に教えようとせず、誰にでも非凡な才能が備わっていたり、思いもかけぬ幸運が訪れるかのような幻想を抱かせるから、猫も杓子も自分を非凡に見せることにのみ腐心し、他人から平凡とみなされることを死ぬより恐れ、虫の良い僥倖ばかりあてにするような愚かな大人になってしまうのです。
その他大勢に埋没するのはなんとしても我慢がならないと言い、出来もしないことで成功する夢ばかりを見て、せっかく出来ることを放棄してしまう。
何一つ創造することなく、毎日混雑した電車で通勤するような人生には自己表現も自己実現もありはしないと感じてしまい、そう感じてしまうことこそが感性の乏しい証拠であることにはちっとも気がつかない。
小説は書くものであるよりも、まずは読むものです。
音楽は作曲したり演奏するものであるよりも、まずは聴くものです。
せっかくの人生では読んだり聴いたりする側にまわった方が絶対に幸せです。