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不織布のマスクは涙を吸収しない。寺地はるな「川のほとりに立つ者は」を読んで
心えぐられました。
帯文、まさに。
寺地さんの作品はなぜこんなに私の心を刺すのだろう。自分の中の何かが変わったのではないかと思う。
わかるよー。吉井さん。共感。
寺地はるなさんの作品って何か独特。
心に刺さります。
感動とも反省とも違う何とも言いようのない感情。
他者観というか、人との関わり方向き合い方を問われるような。
切実さが身に迫るというか。
あぁー、何か自分にこれまで良くないところがあったな、と思わされます。
でも痛烈に反省を促すような感じでもなく。
穏やかーに。
生きづらさに共感を強いられるわけではない。
だけど、問いかけられます。
読む前と後で、自分の何かが少しだけ変わる。
そんな作品!
カフェの若き店長・原田清瀬は、ある日、恋人の松木が怪我をして意識が戻らないと病院から連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は、彼が隠していたノートを見つけたことで、恋人が自分に隠していた秘密を少しずつ知ることに――。
「当たり前」に埋もれた声を丁寧に紡ぎ、他者と交わる痛みとその先の希望を描いた物語。
不織布のマスク
舞台は2020年夏頃。コロナ初期。
当時はそれがいつまで続くかなんてわからず、今が「初期」だなんて思ってなかったけど。
マスクも個人の判断となった今から見て期間を分けるとするならば、確実に「初期」。
会いたい人に会えない。
大会が、大切なイベントがなくなる。
思うようにいかない。
コロナ禍でどれだけの人が涙を流したでしょう。
不織布のマスクは涙を吸収しない
そうなんだよね。
マスクで泣いちゃうと大変。
改めて言葉で聞くと、とっても悲しくて切ない。
この時代をうまく捉えた表現。
篠ちゃん
主人公清瀬の友達の篠ちゃんがいい味出してる。
ええこと言う。
「ほんとうはいい人」とか「ほんとうは嫌な奴」みたいな言い方、嫌いや
~略~
ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで。
ほんまそれ。
ほんでさらに、コンディションってめちゃくちゃでかいと思う。
ウェルビーイングとか流行ってるけど、めっちゃあると思う。
できるだけフラットでいたいけど。
僕で言えば、腰が痛いときってホントに腰の事しか考えられへん。
全ての動作で、ずーっと腰の事ばっかり考えてる。
もう恋かな?ってくらい。
注意力も散漫になるし、視野も狭く、余裕はなくなる。
そういうときもある。
だから誰かの嫌な部分を見てしまっても、性善説にのっとって、「そういうときもあるよね」って目で見るようにしよう。
運がよかった、ただそれだけ
このへんも心に残りました。
他人にたいして「なんか理由があるのかもしれん」って想像する力が足りなくて
むごい事件や他人の非常識な言動を目の当たりにした時、いつも「そんなことをする人がいるなんて、信じられない」と眉をひそめてきた。その言葉で即座に他人事にできる。心を痛めながらも切り離せる。自分はそんな人間じゃないと安心できる。わたしもなにかのきっかけでそうなっていたかもしれない、なんて想像するのもおそろしい。
~略~
運がよかった、ただそれだけ。
おおいに納得。その視点持とう。
運がよかった。
最近、キャリアの成功をそう捉えるべし、という論がトレンドな気がします。
もしレヴロン・ジェームズ(バスケMBAの名選手)が中世のフィレンツェに生まれていたら…?という話を聞いたことがないでしょうか。
ハーバードのマイケル・サンデル教授の主張です。
井筒陸也も語ってます。
彼らの努力が優れていたわけではなく、僕の努力が劣っていたわけでもない。その責任の半分は引き受けてもいいが、それ以上は引き受けるべきではない。キャリアの上で起きた成功や失敗は、それ以外にも様々な要素、時には一人の人間の努力では抗いようもない要素によって構成されていることを忘れるべきではない。
これ、そっくりそのまま惨い事件とかにも当てはまる気がします。
理由が一つではないという「単一原因の誤謬」や
事故の発生メカニズム「スイスチーズ理論」とも密接に関わってる。
なんでそんなことをしたのか?
つい人にフォーカスしがちなので気を付けたいところ。
いろいろ脱線しちゃいましたが、とっても良い作品でした。
本屋大賞2023ノミネート作品。
大賞あるかな~どうかな~。
なきにしもあらず。上位ではある気がする!
「水を縫う」とかそのへん未読なんで、また寺地はるな作品読みたいと思います!
以上