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この世のものは、すべてまぼろし…!?(量子力学の視点から)

あるマスター(精神的指導者)は言いました。

「人生は、映画のスクリーンのようなもの。

しかし人は、あたかも、それが本当に起きているかのように、
泣いたり、騒いだりしている…」


ものはない…なんて言っても、

「そんなの、たんなる思想的概念でしょ」
「実際、ものは、あるじゃないか!」
「どっかの宗教かぶれ」…etc.

などと言われて終わりでした、これまでは。


しかし、物理の世界でも、「ものはない」ことが証明されていたと聞いて、久々にワクワクしましたねぇ~。

まぁ証明されたのは最近ではなく、40年も前の、1980年代だそうですが。


2022年ノーベル物理学賞を受賞したのは、
アラン・アスペ氏
ジョン・クラウザー氏
アントン・ツァイリンガー氏
の三氏ですが、アラン・アスペ氏を例に挙げると…


(専門家によれば)
アラン・アスペ氏の実験は、量子もつれとベル不等式の破れに関するもので、これらの実験は、量子力学の基本的な性質を明らかにし、特に「局所実在論(物理的な現象が局所的に決定されるという考え方)に挑戦しました。

この実験は、量子もつれ状態にある光子のペアを用いて、ベル不等式が破れることを示したもので、これは量子力学が予測する非局所的な相関が実際に存在することを示しています。”

つまり、「ある場所での測定結果を知った観測者にとって、遠く離れた場所の光子の状態も瞬時に変わる」という現象ですね。

(専門家の話に戻ると…)
この結果は、「ものはない」という考え方、すなわち物理的な現実が観測されるまで確定していないという量子力学の解釈に関連しています。量子もつれの実験は、観測されるまで物理的な状態が確定していないことを示唆しており、これが「ものはない」という概念につながります

アスペ博士の実験は、量子力学の奇妙で直感に反する性質を実証し、物理的な現実の本質についての理解を深める重要な一歩です。”


なるほど…専門的なことばが並んでいますが、要するに実体はないこと、そして、有名な「ボーア、アインシュタイン論争」では、アインシュタインと対立していたボーアが正しかったということですね。

あくまで、この件においては、ですが。

(「ものはない」という概念に関する議論はニールス・ボーアとアルバート・アインシュタインの間で有名な対立を引き起こしました。)


アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言い、量子力学の確率的な性質に反対したことは広く知られています。

物理現象には隠れた変数が存在し、それらが決定論的に挙動を決定すると信じていました。

一方、ボーアは量子力学の確率的な性質を支持し、観測によって物理現象が決定されると主張しました。


最終的に、実験結果や理論的な研究により、ボーアの解釈が正しいことが広く受け入れられるようになりました。


つまり、量子力学は確率的な性質を持ち、観測によって状態が決定されるということですね。


これが、「ものはない」という意味での量子力学の解釈の一つであり、アインシュタインの見解が間違っていたと結論付けられる根拠になっていると思われます。


ただし、もしアインシュタインが生きているあいだに、アスペ氏の実験結果が出ていたなら、アインシュタインはそれを受け入れて、考えを変えていたのではないかと、あくまで個人的にですが、思います。(実験が出たのが1980年代、アインシュタインが亡くなったのは1955年です)。


量子力学の世界は非常に興味深く、奥が深いですね。

なんでもかんでも「量子力学」と、つけさえすれば、信ぴょう性が高まるような昨今の精神世界界隈の風潮には、ウンザリするところもありますが…。


誤解のないように申し上げると、私はアインシュタインを心から尊敬していますし、その業績は偉大だと思っています、他の多くの方々と同じように。

もちろん私の乏しい頭では、すべてを理解しきれているとは、到底言えません。それどころか、爪の垢すらもわかっていないかもしれませんが…(^^;;。


しかし、逆にその偉大さが、この件に関するボーアの正しさに、後世の多くの人が疑いをさしはさむ要因となってしまったとしたら、残念なことです。


科学者の基本姿勢である実験を元に考えれば、ボーアが正しいのは、明らかなはずでした。

が、実験結果が出て以降も、一部の科学者たちはそれを受け入れず、ボーアの論に異をとなえていました。


でも、こういうことって、あらゆるシーンで言えますね。

私たちは、相手の肩書や世間的評価、いえ、そればかりか、容姿からでも簡単に判断してしまいます。

「この人が言うんだから、間違いはない」と。

人間関係において、信頼は大切ですが、「言っている内容が正しいかどうか」は、その内容そのもので判断しなければいけないのだと思います。

ただ、それはわかっているつもりでも、例えば、立派そうに見える容姿の人と、みすぼらしい見た目の人が対立していた場合、つい立派そうな容姿の人を信じてしまいがちです

(ボーアがみすぼらしいと言っているのではないですよ、決して。
当時から、偉大な科学者と認められていましたから。一般的な知名度でいったら、アインシュタインにはかないませんが。)


逆に、高い権威に反発して、反対意見を持ってしまうというケースもあるかもしれません。

しかしそれも、権威にとらわれている、という点においては同じこと、どんな場合でも偏見に惑わされないようにしたいものです。

簡単にフェイクニュースが作れてしまう現代においては、特に。

そして、これが肝ですが、「ものはない」とすると、ものの奥には何かがあるのか、ないのか、

あるとしたら、それは何なのか、

実在とは、本当に価値のあるものとは何なのかを、じっくり探し求めながら、生きていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

https://lab-brains.as-1.co.jp/enjoy-learn/2022/10/38560/


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