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都に移り行く人々。

東京都が転入超過。わけがわからないよ。

 せっかくコロナ禍で地方移住の潮流が形成されていたのに、どうして東京都が転入超過しているんだい。エセ都民には理解が追いつかなかった。せっかくリモート対応になったホワイトカラーの人たちと、都心部の一等地に立派なオフィスを構える必要のなくなった企業が、脱リモート化で元の世界に戻りつつある兆候なのだろう。

 私はエッセンシャルワーカーで、通勤時間を削減したい意図から、これまで仕方なしに家賃や物価の高い23区内に居住していたが、今春の早期退職によってその呪縛から解放される。移住先を探している最中であるが、都会は住む場所ではない思想のもと、3大都市圏である東名阪は移住の候補から外している。

 時は金なりとは言うが、個人的にはお金は失っても取り戻せる可能性があるが、時間は失ったら決して取り戻せない性質上、時間の方が価値が高い。

 それに時間は、何人も生まれながらにして唯一、平等に与えられる資産だ。確かに常識的な範囲内なら、どこに住もうが通勤手当の上限に達しない限り、交通費は雇用先から支給されるから、金銭的に損をすることはない。

 とはいえ、職住近接で徒歩や自転車で、10分そこらで通勤できた方が、郊外から平均で往復1時間19分掛けて、満員電車に揺られて通勤するよりもQOLは高いだろう。

移動時間などないに越したことはない。

 家が近い人ほど遅刻が多いなんてマーフィーの法則があるらしいが、これそのものはユーモアであり学術的根拠はない。とはいえ、通勤に掛かるプレッシャーの度合いは遠方の方が大きいのは事実である。

 近場でいつでも行けると思うと、いつまでも行かない地元の観光スポットと感覚は似ているのかも知れない。因みに私は出勤時刻5分前に飛び起きたことこそ一度だけあったものの、社会人史上遅刻したことはない。

 始発駅で座れるから通勤が苦ではないと、痩せ我慢している人も一定数居るが、始発で座るために並ぶ時間も、毎日のちりつもだと考えると馬鹿にならない。スマホ、読書、パソコンで作業、音楽を聴く、眠るにしても、列車の座席上より、自室でやった方が良いに決まってる。

 それに、交通機関が毎日動いているとも限らない。輸送障害で最寄駅に辿り着くまで苦労を伴うことが、年に何回かはあるだろうし、東日本大震災のように、遠方であればあるほど帰宅困難者になるリスクは高まる。

 これらのリスクを負ってまで、遠方から通勤するリターンが果たしてあるのだろうか。私は削減した通勤時間を、大学の学び直しに充てられたことで、出勤時間の15分前まで自室で勉強することもあった。

 結果として、通学部と同じ年数でまずは短期大学士を取得。学士の卒業単位も残り3/4だが、在籍期間はまだ1年半残っている。今春から晴れて社畜を辞めて専業学生に逆戻りだが、月に1科目程度のスローペースで履修しても卒業要件を満たせる程度に余裕があるのは時間様々で、鉄道員がこれを言ったらおしまいだが、移動時間などないに越したことはない。

都市部に移ってまで、職に就く意義。

 しかし、東京都に転入する人の多くが、私のようにタイパよく出稼ぎするために、仕方なしに上京しているかと言えば、決してそんなことはないだろう。分譲マンションの広告が絶えないから、そのまま都に根を下ろす人の方が、圧倒多数のように感じてならない。

 そうしてある程度の年齢になって、お金に余裕が出てくると、示しを合わせたかのように、週末にゴルフやハイキングなど、自然を求めて遠方に出向くのだから不思議である。

 価値観は人それぞれだから、決して否定する趣旨はないものの、本音では自然資源が豊かな地方に居住したいのに、それが叶わないからせめて週末だけでも…と気晴らしに出掛けているのなら、最初から地方に居住すれば良かったのではないか。と個人的には思ってしまう。

 都市部にしか仕事がないと言う先入観は、賃金労働者以外の人生設計を、自分の頭で考えたことがなく、思考停止している何よりの証拠ではないだろうか。FIREのような金融資産所得に限らず、自営業や起業で地方創生を試みたって良いし、自給自足で貨幣経済から距離を置いて過ごすのも、生き抜く選択肢のひとつだろう。

 お金がないと生きていけない固定観念は、先人達が分業した方が効率的だと気付き、税を納めるために貨幣経済が発達したからとされている。つまり、誰かに労働して貰うための権利を行使する際に、我々はお金を支払う。

 衣服を作る。食材を調達する。調理器具を作る。調理する。住環境を整備する。これらに必要な労働を、他の誰かが肩代わりしてくれた対価として、自分が労働した対価として得た法定通貨を支払う。

 額面や相場から安いとか高いと判断しがちだが、賃金労働者である以上、本質的には貨幣を介して人生の時間を切り売りしているに過ぎない。お金を無駄遣いすると言うことは、時間を無駄遣いしていることと同義だが、多くの人が賃金を我慢料だと勘違いして浪費してしまう。

 分業して就いている職業で疲弊する位なら、生活の諸々を代行して貰わず、全部自分で済ませれば、多少非効率かも知れないが、お金は原材料費を除いて殆ど掛からない。

 日本は高品質なインフラが廉価だから、コスパの良い水道だけ抑えて、電気は基本料金が掛からない新電力でも契約すれば、生活コストは月3万円にも満たず、自分ひとり分くらい賄えるだろう。

 これなら週に1〜2回のアルバイトや、そこそこ都市部ならフードデリバリー的な働き方、クラウドソーシングの案件をいくつかこなすだけでも稼げそうである。そんな時代に、心身をすり減らしてまで都市部で社畜にしがみ付かなくても、人生はなんとかなるのではないかと常々思う。

 周囲に試す人が居ないからこそ、自分自身が口だけではなく、被験者となって問題点を洗い出せたら、多少は地方回帰の潮流が生み出せるのではないかと、淡い期待をする今日この頃である。


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