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KPIが高過ぎるのも考えもの…


オーバーツーリズムで、旅行需要減秒読み?

 KPI(Key Performance Indicator)の言葉を聞いたことがあるだろうか。日本語にすると「重要業績評価指標」と訳され、経営に近い立場にいる人ほど、この指標が低いと評価が得られないため、どうにかして上げようと気に病むのだろう。

 かく言う私は、労働集約型産業である鉄道員として、決められたことを決められた通りに行うだけの単純作業しか従事して来なかったため、KPIなどと言う文言は、意識高い系ビジパ御用達の自己啓発書でしか見たことがない。

 末端の従事員には「効率化」として、作業内容の変更が告げられる以上でも以下でもなく、個人の裁量によるフィードバックが、数字として得られる分だけ贅沢な悩みとも捉えられる。

 しばしば日本企業は資本効率が良くないことで、アクティビストからモノ言われる傾向にある。その影響がKPIの引き上げにつながり、中間管理職が板挟みになるまでがテンプレだが、このKPIが高ければ高いほど良いかと問われると、それはそれで考えものではないかと私は考える。

 昨今、コロナの5類移行により旅行需要が回復したものの、コロナ禍で打撃を受けた交通、宿泊、観光業辺りはコストカットで経営をスリム化して、冗長性を無くしてきたツケがまわってきた訳で、捌ききれずに機会損失が出ている。

 しかし、コロナ前のインバウンド全盛期に、従事員をこき使うだけ使っておいて、感染症で歯車が逆回転したら、もう必要ないと切り捨て、今になってやっぱり必要だと言われても、虫が良すぎてふざけるなとしか思わないのが人間であり、人を大切にして来なかった組織の自業自得感が強い。

 それにより、京都を始めとするいかにもな観光名所は、オーバーツーリズムが生じて、その土地の住人が騒音、ごみ、交通機関が満員で自由に使えないなど、辟易しているのが現状であるが、旅行者もまた、あまりの混雑で身動きが取れないと、リピートには至らないだろう。

 今になってライドシェアの実証実験をしているが、私の読みでは検討に検討を重ねて解禁される頃には、あまりの混雑ぶりに訪日観光客も嫌気がさし、需要が減り始めた頃に、供給が増え始めるような気がしてならない。

日勤、土日祝休みが前提の社会システム。

 過日、街の銭湯に立ち寄ったところ、催し物が終わった直後だったらしく、洗い場も湯船も高齢者で溢れかえっていて、利益率の高い老人ホームさながらだった。

 待たされるのが何より嫌いな私には、当然のことながら居心地が悪く、散々待たされて空いた洗い場でささっと洗って、湯船も大して浸かりもせず、そそくさと脱衣所で着替えて公衆浴場を去った。

 生まれながらに感受性が高過ぎるHSP気質であるが故に、受忍限度は低く、人まみれの場所では心身の消耗が激しいため、世間一般の価値尺度に準じた生活は成り立たない。

 毎朝同じ時間の満員電車に揺られ、みんなで一斉にお昼休みで、食べる所も激混み。帰りの電車も17時を過ぎると、我先にと帰りたいリーマンが押し寄せ、朝ラッシュほどではないにしても、居心地の悪い時間を過ごすか、別料金を支払って座れる列車に乗る。

 花金では混み混みした赤提灯で酒に飲まれ、酒臭い終電で乗り過ごす。土日休みではどこの娯楽施設も混んでいるうえ、繁忙期の料金で安くはない。そうしてサザエさん症候群からの、憂鬱な月曜日を迎える。耐えきれなかった人が電車に飛び込み、ただでさえゲロ混みの朝ラッシュが、更なる地獄絵図と化す。

 太陽が出ている時間帯に働き、土日祝休みであることが前提の社会システム。学校教育で飼い慣らされてしまうと、このシステムに何の疑問も持たないが、交代勤務、平日休みの世界を知っている身からすれば、この枠組みはいささか窮屈である。

KPIを無視する力。

 鉄道員に限らず、年中無休のシフトワーカーあるあるだが、シフト勤務故に、日勤で土日祝休みの人とは休みが合わず、人間関係の大部分が職場で固定される。交流会的なもので多少冒険しても、同業者が関の山だろう。

 因みに、平日の朝イチでパチンコ屋に並んでいたり、昼間から飲んだくれている現役世代は、ただの無職か、鉄道、警察、消防などのシフトワーカー率が高いのが、筆者の経験に基づく感想である。

 そんな一般社会から隔絶された閉塞的な環境のため、合わない人は去っていくが、そもそも人間との関わりをあまり持ちたくない、私のような人種にとってはパラダイスに等しいし、賃金を除けばセミリタイアの予行演習にも打って付けである。

 役場や銀行の手続きは非番に済ませられるため、わざわざ有給休暇を取る必要がない。曜日感覚がなくなり、店の前で定休日と気付き、途方にくれるのが玉に瑕だが、平日の昼間ならどこの娯楽施設も安くて空いているから快適そのもの。

 我々は往々にして、良い大学、良い会社、結婚して子どもを育て、マイカー、マイホーム…を始めとする、つつがない人生設計、常識人のKPIを高めようとしがちである。

 しかし、突き抜けた何かがない限り、人生のリソースが有限である以上、全てを叶えることが不可能な無理ゲーで終わるか、高学歴エリートとして窮屈な枠組みという名のタコツボに嵌まる可能性が高いと考える。現代に必要なのは、そうしたKPIを無視する力なのかもしれない。


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