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蜜蜂が絶滅したら4年後には人類も滅びる?'e


ミツバチの過労死

 タイトルは言わずと知れたアインシュタイン博士の言葉である。解釈の余地はあるものの、ミツバチは巣の幼虫に花粉団子を作る性質上、多くの植物の受粉を担っている側面があり、そのミツバチが絶滅すると、植物の受粉が滞るため、野菜や果物が採れなくなり、人類も滅びるだろう的な解釈が一般的とされている。

 我々人間から見ればミツバチは小さな存在であり、日常生活を営む上で存在を意識することはほぼない。もし仮に出会しても、刺されないために刺激を与えないよう、そっと距離を置く程度だ。

 そんな縁の下の力持ち的存在のミツバチだが、最近は日本人の過労死のような事象によって、突如として姿を消すことが世界中で問題となっている。

 憶測の域を出ないが、養蜂場がハチミツだけでは食っていけず、他の農家などに受粉させるために貸し出していることから、短期間で自然界ではあり得ないほど多量の花粉を採集し、結果としてオーバーワークで過労死しているものと考えられているが、ミツバチと言語コミュニケーションが取れる訳ではないため、真相は定かではない。

 我々が快適なコロニーを作り出すことで地球環境が破壊され、それが縁の下の力持ち的存在のミツバチにも影響しているのであれば、近い将来に食物連鎖が崩れて、食料飢饉のような状況になることも想定される。

 4年という数字は近い未来的な比喩表現で、深い意味はないのかも知れないが、ミツバチと人間は元来、共存しなければならない存在にも関わらず、人間のエゴによって、絶滅する方向に着々と進んでいるのであれば、どこかやるせない気持ちになる。

末端の労働者が滅んだら、日本は滅びる?

 ミツバチは花粉を集める姿から、よく働きバチの呼称が用いられる。これが仇になって過労死する部分も含めて、どこか日本人の労働者像と重なるような印象を持つのは、私だけではないだろう。

 先ほど、ミツバチを”小さな存在”と記したが、エッセンシャルワーカーがまさにミツバチ的ポジションを担う、日本社会にとって必要不可欠な存在でありながらも、日常生活を営む上で存在を意識されることなど皆無な、報われない宿命を背負っている。

 そして上流階級のエゴや、シルバーデモクラシー故の若者冷遇によって、末端の労働者ほど報われず、時代を追うごとに生きづらさを感じる方向に着々と進んでいる。昨今の晩婚化というより非婚化や、それに付随する形での少子化は、これらの側面が大きいと感じる。

 高齢者からすれば、20年先の政策など関係ないのだから、将来世代のための政策ではなく、今だけ金だけ自分だけで、死んで逃げきれればそれで良い政策を支持する構造にある。現に子どもの数は着々と減っており、生活を支える労働者の成り手が居なくなれば、いずれ日本社会は崩壊する。

 既にエッセンシャルワーカーは、重責の割に金にもならない職業で若年層ほど寄り付かず、コロナ禍でトドメを刺された地方のバスや鉄道は最近になって減便が相次いでいる。奇しくも人手不足が嘆かれてから、不便になるまでに4年ほど掛かっている計算だ。

 郵便も値上げやサービス低下が著しい。介護や病院でも人手不足が嘆かれている訳で、これらのインフラもまた、4年後くらいに地方部から不便になり始めても不思議ではない。

 そう考えると、地方で将来世代を軽視する政策のまま、必要な改革を先送りして、死んで逃げ切ろうとした高齢者の方が、衰退する地方で身動きが取れなくなり、むしろ袋小路に陥る可能性が高い。

 地方でインフラが崩壊し始めたら、フットワークの軽い若年層は都市に逃げて行き、その土地にしがみついた者だけで縮小再生産を繰り返し、ものの数年で悪化の一途を辿る。地方自治体の消滅は、このような形で均衡が崩れた瞬間に、一気に顕在化するのではないかと考えているのが私の仮説だ。

奴隷と紙一重な末端の労働者

 我々人類がミツバチの恩恵を受けておきながら、ミツバチにとって過労死するような環境にしている様に、エッセンシャルワーカーに対しても、安くて高品質なインフラの恩恵を受けておきながら、エッセンシャルワーカーにとって重責、薄給、激務な環境を維持し続ける、グロテスクな構図に対して何ら疑問を持たずに生活している。

 朝、決まった曜日にゴミを出せば回収される。通勤で使う電車やバスが、おおよそ時間通りに運行される。コンビニやスーパーはいつも開いていて、品揃えも申し分ない。日中や帰宅後に郵便物や宅配が届き、コストの掛かる2時間単位での時間指定や、再配達まで無料でやって貰える。

 こうした日常生活に欠かせないインフラの多くを、大学を出ていない層が、たとえ正規雇用であっても時給換算すると1,000円前後で支えており、重責を担う割に手取り14万円前後みたいな、生活保護と大差ない状況から、もはや労働者なのか奴隷なのか紙一重な領域に達している。

 受益者からすれば、安くて高品質なインフラだが、勤める側は薄給激務なブラック労働に走りがちで、運が悪いと私のように身体が壊れて潰れたり、最悪の場合は過労死する。まだ20代だが、同僚の死を2度(フィジカル由来、メンタル由来)も経験していることからも、決して誇張しているつもりはない。

 中にはメンタルやフィジカルが耐久性オバケな人も稀に存在するが、その手の人たちが自分よりも多くの残業代や、休日出勤手当を貰えている様子を見て張り合ってたところで、自分の寿命を縮めるだけだろう。

 日本人はプロテスタント的な思想に毒されていて、労働そのものに価値を見出そうとするが、誰かがやりたくないことをやることで賃金が得られる構造上、個人の向き不向きはあるにしても、”誰かがやりたくないこと”には変わらず、それが楽しいとか、価値を見出す行為はある種のカルトに近い。

 多くのパンピーは賃金労働でお金を得ているが、いつの間にか生きるための仕事なのか、仕事のために生きているのか分からない生き方をしている人は多い。文明社会で生活を営む上で、お金が必要なのは確かだが、必要以上にお金を得ようとした結果、身体を壊したり、過労死してしまえば本末転倒だろう。

 ”日本人は勤勉”的な高度経済成長期の幻想に囚われているが故に、この社会は怠惰な者に不寛容になっているのが現状だが、このままだとミツバチのように、コロニーごと滅びる運命になりかねない。

 世間では賃上げと喚いているが、生産性を上げることで、賃金は据え置きで休みを拡充するとか、労働時間を短縮する形での、実質的な賃上げを行って貰った方が、有り難いと思うのは私だけではないと思う。

[増補]根はマルクス主義者なのかもしれない

 「文明社会で生活を営む上で、お金が必要なのは確かだが、必要以上にお金を得ようとした結果、身体を壊したり、過労死してしまえば本末転倒」

 原文でも記しているこれは自戒の念でもあり、資本主義社会の「労働者が資本を増殖するためだけに生きるという、賃金労働の悲惨な性質」を端的に表した上で、それに対してNOを突き付けるポーズとも捉えられる。

 ある種の思考実験で、前後の文脈を無視して、この部分だけ切り取ると、根源的な思想は、社会に労働力を提供する者が、最も報われるべきというマルクス主義のソレに近い。

 話は株に代わり、昨年10月にTOB案件が重なったこともあって、月次の利益が社会の役に立つエッセンシャルワーカーもとい賃金労働者時代に稼いだことのない金額となった。

 無論、20代半ばで身体が壊れたのを機にドロップアウトし、それ以来社会に対して労働力を提供しておらず、もっぱら金融資産所得で生計を立てている格好だ。

 別に遺産相続で巨万の富を得た訳ではない。大卒の同世代よりも4年早く社会に出た分、賃金労働しては質素倹約な暮らしで投資の種銭を捻出し、同い年が人生の夏休みを謳歌している最中、早い段階で資産運用を始め、本気で向き合ってきた程度だ。

 高卒で社会に出て、20代半ばに病気を患って働けなくなってたのだから、賃金を得ていた期間は7年程度。生々しいが私の平均年収は370万円で、そのうち2割が税や社会保険で天引きされていたことを鑑みれば、労働者時代の可処分所得は概算で2,000万円ちょっと。

 1円も使わなければ老後資金問題は解消される格好だが、霞を食ってる仙人ではないため、幾らかは生活費等で差し引かれるが、それにも関わらず、老後資金問題が既に解決している。

 労働者時代、日本円にして資産8桁の大台に達するまでに、6年ちょっと要したが、それと同じ金額を、今度は適切に資産運用するだけで、遥かに早いペースで増殖してしまった。社会に労働力を供給していないにも関わらず。

 これがいわゆる”富が富を生む”状況だが、私が昨今のインフレによる円安株高を追い風に、お金に困らない生活を営めている傍らで、普通に働いている人たちは物価と税金が上がるも、賃金はそれに追いつかず、生活が苦しくなっている。社会に労働力を供給しているにも関わらず。

 これが我々の生きる資本主義社会のバグである。私はエッセンシャルワーカーの報われなさに、おかしいと思いながら単純作業をしていたが、愚痴をこぼすのではなくハックする側にまわって今がある。とはいえ、ハックした今でもおかしな構造だと思い続けている意味で、根はマルクス主義者なのかもしれない。


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