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下落相場こそ、平常心。

株安、円安、物価高。

 ここ最近、米国の利上げに伴う世界的な株安。日本だけ金融緩和続行による円安。昨年からの原油高や昨今の戦争に伴う物価高と、四方八方で生活苦が加速する方向に進んでいる。

 ほんの一ヶ月前までS&P500が「半値戻しは全戻し」と、株式市場は一時的に強気な様子も伺えたが、日本株の相場を見ている感覚としては、某海運銘柄社長のリセッション発言や、某リチウム電池セパレータ企業のストップ安と、トレンド転換から相場は不安定な状態と化しているように思える。

 実際のところ、私の総資産も9月半ばをピークにボーナスが可愛く思える規模で目減りしている。これは純粋に運用規模が年収の数倍となっており、1%で十万円単位の変動となることから生じている減少であって、流行りの銘柄で大損したなどの類ではないことを補足させていただく。

 それに、手取り数ヶ月分に相当する数十万円が下落したところで、景気循環で退場さえしなければ、そのうち元に戻るどころが、昔より大きく膨らむのだから、一々悲観したりもしていない。

 今までずっと銀行預金だった方が、突然1日で数十万円が変動する株式に全額突っ込めば動揺するかも知れないが、私は最初は数十万円から徐々に運用総額を大きくしていったため、総額と変動する割合を考えれば、有事の際にどれ位の額が変動するのか、最悪の状況を想定できているため、たとえ時価総額が100万円減少しても、狼狽売りをする気にはならないだろう。

 それより、普段なら高値で手が出ない銘柄が値頃になっていないか物色している最中である。とはいえ、今回の下落局面は10年に一度の大バーゲンセールというよりも、年に数回開催されるタイムセール感覚で、全力買いをするテンションには遠く及ばず、今日も変わらずローテンションな平常運転である。

道具に罪はない。

 株式の良いところは有限責任で、これは出資(株式を取得)した金額が責任の限度となっているため、出資先の企業が倒産して、株式が紙切れになることはあっても、借金を負うことはなく、投資家にとって画期的な仕組みだったから、大航海時代のオランダ東インド会社の設立から、現代に至るまで採用されている。

 それにも関わらず、先日の某銘柄のストップ安では、SNS界隈では悲鳴が聞こえた。ストップ安で株価がゼロになった訳でもないのに、借金を抱えた嗚咽が聞こえたり、退場する人が後を絶たない。不思議ではないだろうか。これは、信用取引の追証によるもので、信用取引では自分が口座に入金しているお金の3.3倍まで、有価証券を保有できる仕組みとなっている。

 このテコのような仕組みはレバレッジと呼ばれているが、これだと儲かる時は3.3倍儲かるが、損する時も3.3倍損をする。つまり信用取引には、有価証券の最大の特徴である有限責任を台無しにする可能性が潜んでいるのである。

 とはいえ、信用取引の全てがけしからんと言いたい訳ではない。空売りで下落局面でも利益を得られたり、ヘッジを掛けられるなど、取引の引き出しが増やせる点で、使い方によっては有効なシステムだと思う。

 以前にも例えているが、包丁は便利な調理道具だが、使い方を誤ると凶器にもなる。殺人が起きたからと言って包丁が悪いから、世の中から無くそうとは思わないが、道具やツールの利用者が少数派だと、かつての2ちゃんねるのように、道具が袋叩きにされる風潮があるが、生み出された道具に罪はない。

 今回のストップ安で借金を負った人たちは、リスクを顧みなかった結果、包丁を凶器にしてしまった人たちであって、株式投資や信用取引というツールが危ない訳ではない。凶器にしないための知識や経験を積み上げることで、それらを上手に扱い、巨万の富を築いた方は多く存在する。

 それでも私は、有限責任のメリットを帳消しにするリスクに見合うだけのリターンを、短期売買で得られる自信がなく、包丁を凶器にする側に周る可能性があると、自身を100%は信用していないから、最悪の場合でも証券口座の残高がゼロになるだけで借金が生じない、長期目線の現物取引のみと自制しているのである。

勝つことよりも負けない。

 投資の神様と呼ばれるウォーレンバフェットさんは、「急いで金持ちになろうとしてはいけない」と語っている。お堅い解説はウェブ上のメディアに譲るとして、私は「欲張るといつか相場の波に呑まれる」と解釈し、大きなリスクを取らずに、コツコツと手堅く利益を積み重ねることが、相場から退場することなく複利の恩恵を得るための心構えだと考えている。

 話は変わって、年功序列制の鉄道会社に入社し、手取り13万円とフルタイムで勤めているにも関わらず、生活保護と大差ない薄給振りに文句を言った際に、多くのベテラン社員から「長く居れば晩年に回収できる」と念仏を唱えられてウンザリしていた。

 そんな中で、ある上役の方が、「確かに長く居ればお金は後から付いてくるけど、若い時に欲しいんだよなぁ」と決して美辞麗句ではなく、若手の根源的な欲求に真っ直ぐ向き合って貰ったことに、感情が突き動かされたことを今でも覚えている。

 これが人間の真理だろう。あの世にお金は持っていけないのだから、最期にお金持ちになったところで仕方がない。お金は何かと交換するための道具でしかないのだから、溜め込むのではなく、使って経験や思い出に変えていくことが、実りある人生を送る上で重要だと思う。

 だからこそ焦る。急いでお金持ちになろうと、一発逆転を狙ってしまう。浮かれている草食動物が、血みどろの闘いを繰り広げるサバンナに紛れ込んだら、獲物を探している肉食獣が狙わない訳がない。そうして、9割は餌食にされ、屍となっていく厳しい世界である。

 そんな厳しくも夢のある世界だからこそ、足元を掬われないために、地に足をついた負けない戦略を徹底し、大きく勝つことはなくても、有事の際に退場しない戦略を採ることの重要さを、今の相場が教えてくれているように感じる今日この頃である。

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