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確実な今を犠牲にして、不確実な将来に備える不毛さ'e


E缶だけは最後まで取っておく人の報われなさ

 以前の私は、宵越しの銭は持たない江戸っ子気質とは程遠い性格であった。そのほうが世間一般ではしっかり者などと持て囃されるが、本質的には金銭に執着していない江戸っ子の方が潔いし、恐らくトータルでは得をしている。

 今でも根幹部分は変わっておらず、気を抜くと大事なものは最後まで取って置いてしまう、ロックマンで言うところのE缶だけは最後まで取っておく派閥である。しかし、20代で2つの事件を経験したことで、最後まで取って置いても使い切れずに報われない展開が多く、宵越しの銭は持たない派閥に傾く運びとなった。

 ひとつは退職時の有給消化である。鉄道員はノルマがなく、定員制と言って、毎日職場に決まった人数が居れば良いだけだから、基本的な勤務シフトがダイヤ改正まで有効で、数ヶ月〜1年先のスケジュールを確認した上で休暇申請が行えるため、13連勤手取り14万電鉄でもなければ、有給が取りやすく消化率も高い傾向にある。

 とはいえ、入社初年度は10日程度しか付与されないため、突然の体調不良に備えて、有給は繰り越した前年分の範囲でしか使わないと決めていた。そのため、必ず年度末でも10日以上の有給が残っていて、仮にインフルエンザを患っても事故欠勤で給与査定には響かない安心感があった。

 しかし、それが退職時に裏目に出た。就業規則では1ヶ月前に退職の意思表示をするとされていたが、デットラインが決まっている以上、早いに越したことはないと考え、迷いもせず6週間以上も前に申告した。

 その際、残りの有給が24日と、特別休暇が5日残っていて、勤怠担当者がその気になれば消化できる日数だったにも関わらず、職務怠慢により有給を捨てる羽目になり、気分を害して退職したのは言うまでもない。

 それどころか自己都合退職なのだから、自分の代わりくらい自分で探せ。ただし稼ぎたがりの奴は使うな。36協定の残時間が無くなるとこっちが困るなどと無茶苦茶な掌返しをされる始末。だから報復で最後の最後に社内政治を悪用したのだが…。

 「立つ鳥跡を濁さず」は確かに大切だが、伊達政宗の名言でもある、「まともでない人間の相手をまともにすることはない」はそれ以上に重要であると言うのが持論である。NHKの集金とか、宗教勧誘とか、ねずみ講とか…。

ゼロで死ぬことを諦めた入院生活

 また、20代半ばで大病を患った際、発作に見舞われて否応にも死を覚悟した経験が大きく影響している。この発作は西洋医学的には「みぞおちの上部に激痛が走る」らしいが、感覚としては誰かに心臓を握り潰されるような苦しさであった。

 そして、失神することなく、数十分間ひとりでのたうち回っている時に、今までアッパーマス層を目標に、年率4%で運用し、毎月10万円相当の不労所得で自由に生きるために蓄財に励んできたが、ここで死んだら生涯節約で終わる。

 こんな死に方する位なら、我慢してお金を使わないより、使える時に使っておけば良かったと軽く後悔した自分が居た。後に発作単体で死に至ることはないと知るものの、この経験は自身の本心を知る上で重要だったと今では思っている。

 その後、血液検査で肝機能障害と診断され、即時入院となったのだが、原因を突き止めるまでの間、曽祖父が肝臓がんで亡くなっていたことと相まって、癌まで疑われた。

 精密検査で肝臓がんが否定されるまでの数日間、もし仮に余命半年とか宣告されたら、今まで蓄財してきた8桁の日本円をどう使い切るべきかを、もし宝くじが当たったらよりも真剣かつ具体的に考えていた。

 しかし、倒れた時が不運にもコロナ禍で、世界一周旅行が出来るご時世でも体調でもなく、絶食を支持され食事も与えられず、自分のために使えるオプションなど病院の個室代程度。

 自身が置かれている状況を鑑みたら、到底使い切れない貯蓄額と言う結論に至り、もし余命幾許もないなら、これまで築き上げた資産を使い切って、ゼロで死ぬことは不可能だと察し、諦めの境地だった。この時にも、コロナ前の体調も良くてお金がある時に、世界一周航空券で旅行でもしておけば良かったと後悔した。

将来への備えよりも、今を大切に生きる

 人間には3種類の生き方がある。過去を生きる人、未来を生きる人。そして今を生きる人。幸福度が高いのは今を生きている人だが、多くの日本人が過去または未来のために生きてしまっている。

 私も未来のために生きてしまいがちだからこそ、宵越しの銭は持たない江戸っ子の、今を目一杯楽しんで生きる姿に憧れる部分があるのだろう。尊敬する岡本太郎さんは書籍で瞬間瞬間に生きると何度も表現しているが、ニュアンスは同じだろう。

 老後資金のiDeCoも同様である。老後不安から政府公認の制度を活用して蓄財に励むのは悪い選択ではないどころか、世間一般ではしっかり者と称賛されるだろう。

 しかし、今の生活を目一杯切り詰めて、60歳で小金持ちになったところで、大金を使い切れるだけの時間や体力、平和な世界が残っているとは限らない。

 5年先すら見通せない現代社会で、60歳の状況など予想するだけ無駄骨であり、そんなVUCAの時代に、確実な今を犠牲にしてまで、不確実な将来に備えていると、病に倒れた時の私みたいに、多額の死に金を遺す羽目になるくらいなら、使い所で気前よく使っておけば良かったと後悔する。

 だからこそ、宵越しの銭は持たずに今を目一杯楽しむ方が、幸せの総量は多いと考える。結果として老後破産となっても、若い時にあれだけ楽しんだのだから自業自得だと、自己決定を受け入れられるだろう。

 だがしかし、確実な今を犠牲にして、不確実な将来に備えて報われない場合、過去の苦労が報われていないのだから、絶対に受け入れられず、惨めな気持ちになる。

 そうして今を生きずにE缶だけは最後まで取っておく人は、若い時に苦労して築き上げた資産の大半を、突然の病気などにより、今の自分に使う機会を失ったまま人生の最期を迎え、自分の命を数ヶ月から数年延命するために使って亡くなり、残った分は相続税として召し上げられる。

 これでは何のために生きていたのか分からない。幸せに生きたいなら、周囲の視線や声など気にせずに、今この瞬間を大切に生きることが、唯一にして最良の手段なのかも知れない。

[増補]知らぬが仏、知らぬが地獄

 最近になって旧友が、職域健康診断で心電図だけ引っ掛かるけど、精密検査をしても原因不明だと、愚痴をこぼした。

 私も病に倒れる2年前くらいから、心電図の異常を指摘されたものの、原因が分からないまま発作で倒れたことを知っているから、何かヒントが欲しかったのだろう。

 車でエンジンに相当する心臓が、継続的に異常を検知しているなら、何かしらの要因が過負荷を生じさせている可能性が高い訳で、大病を患って後悔するくらいなら、今の生活環境を変えてみた方が後悔しないという、経験則から得た結論だけは伝えた。

 私が20代半ばで倒れて早数年となるが、退院後の定期通院を強引に終わらせて以降、休職期間中の職域健康診断はもとより、ドロップアウト後も健康診断の類は一切受診していない。

 鉄道員時代に強制されていた、半年に一度の健康診断を受けても、早期発見されることなく突然倒れ、蓋を開けてみたら内臓が悪くなっており、摘出する羽目になった意味で、一発退場のレッドカード同然だったのだから、早期発見が目的の健康診断など、医者を食わせるための常套句に過ぎない。

 やれどこの数字が(基準値よりも)悪いと指摘されては、隠れた病気を見落としているのではないかと、不安を煽られながら生きるくらいなら、人は必ずいつか死ぬことに変わりはないのだから”知らぬが仏”というやつだ。

 かつての私は、健康第一主義で食生活に気を使い、地中海式食事法を取り入れていた。主食は玄米。タンパク源は鶏肉、魚、卵のみ。牛肉、豚肉は滅多に食べず、加工肉など以ての外。油はオリーブオイル一択。野菜と果物とナッツを積極的に取り入れる。酒は抗酸化作用のある赤ワイン一択。

 シフトワーカーの宿命である不摂生を、せめて食生活を整えることで、少しでも健康体を保てるよう努めたつもりだったが、結局のところ20代半ばで体が壊れ、内臓を摘出した影響で、特に油物は身体が受け付けなくなった。

 20代前半まで健康や蓄財の観点からも、特に牛肉、豚肉、加工肉は控えていたのに、20代後半からは、内臓を摘出したことによる体質の変化で、食べても消化不良で具合が悪くなるだけの身体となり、物理的に殆ど食べられなくなったのだから、健康法を妄信した過去の自己決定が誤りだった以外の何者でもなく、ただただ惨めなだけだ。

 別に老後のためにお金を節制していた訳でもないが、将来不安から今を犠牲にする形で蓄財するよりも、その不安要素を分析し、突然の病気であれば高額療養費制度とか、限度額適用認定証、健康保険組合の給付の知識があれば、過度に不安になって溜め込んだり、ぼったくり民間保険を契約する必要はなく、今を楽しむために使えるお金が増える意味で、こちらは”知らぬが地獄”だろう。

 インターネットで情報が簡単に手に入る手前、何でも医者の言いなりになって、無数の管に繋がれて長生きするよりも、自身でリスクを精査した上で、好き勝手に太く短く生きた方が、幸福度の観点では高いと思うが、いかがだろうか。


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